所在地: | 京都府亀岡市千歳町国分南山ノ口1 [地図] | |
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御祭神: | 火産霊命(加具突智神)・伊邪那美神・大国主神 | |
公式頁: | ||
社格等: |
貞観6年(864)5月10日 貞観14年(872)11月29日 元慶3年(879)10月24日 |
愛當護神 従五位下 三代実録 愛當護神 従五位上 三代実録 愛當護神 従四位下 三代実録 |
延喜式内社 丹波國桑田郡 阿多古神社 明治6年村社 |
愛宕神社
あたごじんじゃ
参拝日:2011年7月10日
京都府亀岡市千歳町国分に鎮座。火防、火難除けの神社。出雲大神宮と同じく南北に長い亀岡盆地の東側の山際にあり、当社、出雲大神宮、松尾神社とほぼ等間隔になっている。丹波国分寺跡が西800mの地にあり、古くから開かれた地域。山際なので、大堰川の氾濫域にもなっていないように思う。
山を神籬として祀られたのが起源で、継体天皇即位元年(512)に初めて神殿が建てられたといわれている。
国史においては三代実録の貞観6年(864)5月10日条に従五位下の神階を奉り、以降貞観14年(872)に従五位上、元慶3年(879)に従四位下と累進し、延喜式では丹波國桑田郡阿多古神社として記載されている古社。
祭神は火産霊命(加具突智神)・伊邪那美神・大国主神の三柱を祀る(『境内由緒書』『南桑田郡誌』)とあり、『京都府神社略記』には伊弉冉尊一柱となっている。
愛宕神社と言えば、京都愛宕山の愛宕神社が著名だが、元は当社の分霊が京都の鷹ヶ峯に祀られた後、天応元年(781)和気清麻呂によって愛宕山へ遷座されたものという(『境内由緒書』、『神祇志料』)。社号標に「本宮」とあるのはそういった経緯から。
『神社覈録』は千歳町国分の愛宕神社に触れず、愛宕山の愛宕神社を式内社としているように、愛宕山との関係については諸説あるが、当社宮司の西田氏による研究では、京都の愛宕神社は当社からの勧請という確認がなされている。
愛宕神社はいまでは全国的な崇敬を受け、千余の分社がある。俗に「伊勢に七度、熊野へ三度、愛宕さんには月参り」といわれている。誰もが一度は「火迺要慎」の火伏札を見たことがあるのでは。もしくは東日本は秋葉神社、西日本は愛宕神社と分かれているのかなとふと思った。
境内入口
境内入口の鳥居と社号標
鳥居に享保3年(1718)銘がある。境内
手前の木には「亀岡の名木イヌマキ」の看板が立っている。拝殿
京都府南部に多い舞殿型の拝殿。本殿(覆殿)
本殿は一間社流造で鎌倉時代の造営。国重要文化財。御神木の杉
「亀岡の名木大スギ」
境内社が社殿の周囲を中心にいくつかある。以下区画ごとに掲載してみる。
本殿左側の境内社
右から稚産霊社、三社合殿社(埴山姫社、少毘古那社、蛭子社)。本殿右側の境内社
右から火防神社、豊受比賣神社。八幡宮神社
拝殿右側区画にある。高良玉垂大神
拝殿右側区画にある。天満宮社
本殿を囲む玉垣の外の本殿左側にある。
萩森大明神、宇都宮大明神
はっきり覚えていないが、境内奥の傾斜地にあったと思う。大山咋神、大山祇神
腕用ポンプ
火防の神社らしく消防ポンプが格納庫にあった。交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR山陰本線亀岡駅から北へ約2.7km。亀岡駅と千代川駅を結ぶバス路線沿い。そこそこ本数はある。参拝者駐車場=あり、駐車=バイク〇自動車〇。
亀岡駅から徒歩約50分。
参拝は約10分程度。
境内に社務所があるが非常駐、要事前確認。
[作成日]2020年01月10日
[更新日]2020年01月10日
[更新日]2020年01月10日
[参考]
・式内社調査報告 ・神社覈録 ・大日本地名辞書 ・境内由緒書