所在地: | 岐阜県高山市一之宮町5323 [地図] | |
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御祭神: | 御歳大神、(相殿)大己貴命・三穂津姫命・応神天皇・高降姫命・神武天皇・須沼比命・天火明命・少彦名命・高照光姫命・天熊人命・天照皇大神・豊受姫大神・大歳神・大八椅命 | |
公式頁: | http://minashijinjya.or.jp/ | |
社格等: |
貞観9年(867)10月5日 貞観10年(867)7月27日 貞観13年(871)11月10日 貞観15年(873)4月5日 元慶5年(881)10月9日 |
水无神 従五位上 三代実録 水無神 正五位下 類聚国史 水無神 正五位上 三代実録 水無神 従四位下 三代実録 水无神 従四位上 三代実録 |
延喜式内社 飛騨國大野郡 水無神社 飛騨国一宮 飛騨国総社 明治4年国幣小社 別表神社 |
飛騨一宮水無神社
ひだいちのみやみなしじんじゃ
参拝日:2011年11月7日
岐阜県高山市一之宮町に鎮座。国史には三代実録に貞観9年(867)従五位上奉授の記事が見え、以降昇叙を重ね従四位上まで累進。延喜式に飛騨國大野郡水無神社として記載のある古社。中世には飛騨国一宮で総社も兼ねていた時期もあるという。
飛騨国の式内社八社は近世には槻本神社以外は不明となっていて、19世紀以降、地元の国学者らの論考によって式内社を比定している。
水無神社は慶長10年(1605)の『飛騨国郷帳』に大野郡一宮郷一宮村とあり、宮村に比定したもの。現在の正式名は「飛騨一宮水無神社」。
社伝によると、成務天皇御宇の創建とされるが、詳しい事は定かにない。御歳大神を主神として多くの神々を配祠し、総称して水無大神という。
主神については、
・大己貴命 『一宮御本縁』
・高照光姫命 『神名帳頭註』『一宮記』
・神武天皇 『飛騨八所和歌裏書』
・八幡神 『元禄検地水帳』
・天火明命 『神名帳考證』
・御歳神 『三澤記』『神名帳叢説』
・水神 『先代旧事本紀』
などの説がある。
宮村は北側を流れる宮川が日本海へ、南側を流れる飛騨川が太平洋へ流れる分水嶺の地。その水分のさまを神聖視し、特定の神ではなく単に「水無神」として信仰されてきたと思える。
安永年間の大規模な農民一揆(大原騒動)では当社境内が集会所となり、この場所での鎮圧で一揆は終焉した。当社の神主も重罪となり、命を落としている。
当社の宮司には島崎藤村の父、島崎正樹が勤めていたことがある。『夜明け前』の主人公のモデルが藤村の父で、小説にも飛騨の神社の宮司になっている一幕がある。
当社には昭和20年の終戦前後の約1ヶ月間、熱田神宮のご神体(天叢雲剣)が空襲や混乱を避けるため一時疎開していた。
境内入口
鳥居と脇に社号標。境内入口の鳥居
社号標には正式名称の「飛騨一宮水無神社」。境内参道
境内
神門(拝所)の前
神門(拝所)
参拝はここで。通常はここより先に入れない。拝所から拝殿
左右の回廊に飛騨国内外の諸神88社を祀る。拝殿
本殿
流造。境内の右側に回り込むと見通すことが出来る。絵馬殿(旧拝殿)
慶長12年(1607)高山藩金森長近の造営。神木のスギ
県指定の天然記念物に指定。大原騒動大集会の石碑
神馬舎
ねじの木
伐採が決まると一夜にしてねじれてしまい、伐採中止となったという。白川社
御母衣ダムに沈んだ二つの白山神社を合祀。稲荷社
神社辞典
水無神社の項
岐阜県高山市一之宮町石原。旧国幣小社(現、別表神社)。
祭神は、御歳大神を祀るが、成務天皇の御世創建以来、水無大神を主神として、他70柱の神々を配祀している。
平安時代貞観9(867)年に従五位上の神階を授けられ、同10年、13年、15年に昇叙、元慶5(881)年従四位上になった。延喜の制、小社に列せられ、祈年の国幣に預かった。また当国一の宮及び総社として、崇敬を集めた。
中世に至り、本地堂を建立、社僧を置き、釈迦像を安置し、水無大菩薩とも称せられ、武家及び一般の信仰を集め、社運隆盛であったという。鎌倉時代の神領、18ヶ村に及んだといわれ、その隆盛の程がわかる。
大永元(1521)年、社殿の造営が行われ、江戸時代になってからは、慶長12(1606)年、金森法印により、拝殿が造営された。以後、金森氏累代の崇敬篤く、社殿の修造・祭祀料等は藩費を以て、まかなわれた。
明治4(1871)年5月、国幣小社に列した。例祭9月25日。古来「宮祭」または「宮の節句」と称され、往古は国内各神社とも当日は祭を遠慮し、業を休み、神供を捧げ、参拝遙拝を行ったという。
例祭の前後に、神代踊・獅子舞等の神事と芸能が行われる。例祭の他、粥占祭(1月15日)、試楽祭(9月23日)、鎮魂祭(11月22日)等、数多くの神事・祭祀が奉仕されている。
祭神は、御歳大神を祀るが、成務天皇の御世創建以来、水無大神を主神として、他70柱の神々を配祀している。
平安時代貞観9(867)年に従五位上の神階を授けられ、同10年、13年、15年に昇叙、元慶5(881)年従四位上になった。延喜の制、小社に列せられ、祈年の国幣に預かった。また当国一の宮及び総社として、崇敬を集めた。
中世に至り、本地堂を建立、社僧を置き、釈迦像を安置し、水無大菩薩とも称せられ、武家及び一般の信仰を集め、社運隆盛であったという。鎌倉時代の神領、18ヶ村に及んだといわれ、その隆盛の程がわかる。
大永元(1521)年、社殿の造営が行われ、江戸時代になってからは、慶長12(1606)年、金森法印により、拝殿が造営された。以後、金森氏累代の崇敬篤く、社殿の修造・祭祀料等は藩費を以て、まかなわれた。
明治4(1871)年5月、国幣小社に列した。例祭9月25日。古来「宮祭」または「宮の節句」と称され、往古は国内各神社とも当日は祭を遠慮し、業を休み、神供を捧げ、参拝遙拝を行ったという。
例祭の前後に、神代踊・獅子舞等の神事と芸能が行われる。例祭の他、粥占祭(1月15日)、試楽祭(9月23日)、鎮魂祭(11月22日)等、数多くの神事・祭祀が奉仕されている。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
最寄り駅はJR高山本線飛騨一ノ宮駅から南東へ直線距離約380m、徒歩約7分。高山駅からバスの便もある。参拝者駐車場=あり 駐車=バイク〇、自動車〇。
徒歩、バイク、自動車で容易に到着できる。
参拝は約15分程度。
境内に社務所があり、御朱印は常時受付のようす。事前確認は必要。
[作成日]2019年12月06日
[更新日]2019年12月06日
[更新日]2019年12月06日
[参考]
・式内社調査報告 ・古代諸国神社神階制の研究 ・公式ホームページ ・岐阜県神社庁ホームページ ・神社辞典