所在地: | 岐阜県飛騨市神岡町船津1823-2 [地図] |
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御祭神: | 大彦命 |
公式頁: | |
社格等: | 貞観9年(867)10月5日 大津神 従五位上 三代実録 |
延喜式内社 飛騨國荒城郡 大津神社 明治5年郷社 昭和5年県社 |
大津神社
おおつじんじゃ
参拝日:2011年11月7日
栗原神社の参拝を終えると16:00を回っていた。急いで国道471号線で神岡町方向へ踵を返す。地図上は国道41号線の西側だが、実際は東側の市街地に鎮座している。 国道471号線坂巻交差点で神岡城への案内板が出ていたので市街地に入る。その後道なりに進み、目に付いた高原川に架かる橋を渡ると大津神社の境内入口にたどり着いた。16:30頃の到着。
駐車場は境内北側にあり、国道41号線から入れるが、南行きに進んでいないと入りにくい。
岐阜県飛騨市神岡町船津に鎮座。高原川の両岸に広がる神岡町市街地の北西端の丘陵上にある。市街地からなだらかな階段参道を登り、その先に豪壮な拝殿がある。境内はとても広く、境内社も敷地内に点在している。
延喜式神名帳に記載のある飛騨國荒城郡大津神社の比定社。大津神社は国史にも三代実録に貞観9年(867)大津神に従五位上奉授の記事がある。
飛騨国の式内社八社は近世には槻本神社以外は不明となっていて、19世紀以降、地元の国学者らの論考によって式内社を比定している。
創建年代は不明。建武年間には当地を治めた江馬氏が諏訪神を勧請し、諏訪大明神と改めた。その後為政者の変遷に関わらず諏訪大明神として存続し、船津の産土神として崇敬を受けていたが、文化年間に至り、地元の国学者田中大秀門弟で船津出身の稲田元浩という人が諏訪大明神を式内大津神社と比定、田中大秀も同意し文化4年(1804)大津神社と改称、古来の社号に復したという。
参道入口
一見して城址公園とか、そういう雰囲気のある参道。参道の一の鳥居
参道入口から少し入ったところ。二の鳥居
境内の手前に建つ。境内参道と拝殿
二の鳥居をくぐると豪壮な造りの拝殿が見える。拝殿
立派さにおもわず口から声が出た。大社の様相。拝殿の社号扁額
本殿
入母屋造り。本殿の背後には国道41号線橋梁が通っている。境内
摂宮
境内由緒書にある摂社と思う。多くの神が合祀。木魂神社
祭神の久々能智大神は記紀に登場する木の神。稲荷神社
祓所
玉垣に囲まれた祓所。本殿の南側にある。同じものが栗原神社にもあった。境内由緒書
式内社 大津神社御祭神並御由緒
本社
主神
大彦命 第八代孝元天皇の皇子に坐す
武渟河別命 主神の嫡子
建南方富命 信州諏訪神社御分霊神
境内社
摂社(合祀神社および御祭神)
神明神社 天照大神
鉱山神社 金山彦大神
水波神社 水波能売大神、金山姫大神
秋葉神社 火彦霊大神
菅原神社 菅原道真
大山祇神社 大山祇大神
事代主神社 恵美須大神
墨縄神社 彦狭知大神、手置帆負大神、飛騨匠御霊
猿田彦神社 猿田彦大神
津島神社 建速須佐之男大神
末社
稲荷神社 宇賀御霊代神
木魂神社 久々能智大神
御由緒
当大津神社の創始年月については不詳であるが、平安時代の初期頃すでに祭祀されていたことは確かである。当時の正史ともいうべき文徳天皇実録、清和天皇三代実録に神階昇叙の御沙汰があったこと、また醍醐天皇の御代に編集された延喜式神明帳にも、飛騨国内八社の一つとして祭祀されていたことが記載されている。
中世建武年間に至って高原郷の領主江馬氏は武神信州諏訪大明神を篤く信仰、この時その分霊を勧請し、社号も大津神社から諏訪大明神と改めた。従って江馬氏は累代にわたってこの神の祭祀を怠らず、崇敬の誠を尽くした。
天正10年高山の松倉城主三木氏との戦いに敗死し、江馬一族も天正13年に滅亡した。その時から諏訪大明神は強力な外護者を失った。その後飛騨の国主となった金森氏も諏訪大明神を尊崇、元禄5年幕府は金森氏を出羽に遷して飛騨一国を直轄地とした。しかるに文化の初年、国学者田中大秀の門に学んだ当地の稲田元浩、大森旭亭、吉村友閑斎らの考証により、師の田中大秀の賛意を得て社号を諏訪大明神から大津神社に改称、往古の称号に復帰した。
明治維新直後の明治4年10月筑摩県(岐阜県)郷社に列格した。昭和5年12月内務省から県社昇格の旨示達があり、なを終戦後の昭和22年2月官制廃止とともに神社本庁に属し、金幣社に又平成2年9月に特別金幣社に列した。
本社
主神
大彦命 第八代孝元天皇の皇子に坐す
武渟河別命 主神の嫡子
建南方富命 信州諏訪神社御分霊神
境内社
摂社(合祀神社および御祭神)
神明神社 天照大神
鉱山神社 金山彦大神
水波神社 水波能売大神、金山姫大神
秋葉神社 火彦霊大神
菅原神社 菅原道真
大山祇神社 大山祇大神
事代主神社 恵美須大神
墨縄神社 彦狭知大神、手置帆負大神、飛騨匠御霊
猿田彦神社 猿田彦大神
津島神社 建速須佐之男大神
末社
稲荷神社 宇賀御霊代神
木魂神社 久々能智大神
御由緒
当大津神社の創始年月については不詳であるが、平安時代の初期頃すでに祭祀されていたことは確かである。当時の正史ともいうべき文徳天皇実録、清和天皇三代実録に神階昇叙の御沙汰があったこと、また醍醐天皇の御代に編集された延喜式神明帳にも、飛騨国内八社の一つとして祭祀されていたことが記載されている。
中世建武年間に至って高原郷の領主江馬氏は武神信州諏訪大明神を篤く信仰、この時その分霊を勧請し、社号も大津神社から諏訪大明神と改めた。従って江馬氏は累代にわたってこの神の祭祀を怠らず、崇敬の誠を尽くした。
天正10年高山の松倉城主三木氏との戦いに敗死し、江馬一族も天正13年に滅亡した。その時から諏訪大明神は強力な外護者を失った。その後飛騨の国主となった金森氏も諏訪大明神を尊崇、元禄5年幕府は金森氏を出羽に遷して飛騨一国を直轄地とした。しかるに文化の初年、国学者田中大秀の門に学んだ当地の稲田元浩、大森旭亭、吉村友閑斎らの考証により、師の田中大秀の賛意を得て社号を諏訪大明神から大津神社に改称、往古の称号に復帰した。
明治維新直後の明治4年10月筑摩県(岐阜県)郷社に列格した。昭和5年12月内務省から県社昇格の旨示達があり、なを終戦後の昭和22年2月官制廃止とともに神社本庁に属し、金幣社に又平成2年9月に特別金幣社に列した。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR高山本線猪谷駅または飛騨細江駅からバスがある。参拝者駐車場=あり(国道41号線から入れる、ちょっとわかりにくい) 駐車=バイク〇、自動車〇。
徒歩はバスの利用が必要、バイク、自動車は容易に到着できる。
参拝は約15分程度。
境内に社務所はあると思うが未確認。御朱印は要事前確認。
[作成日]2019年12月08日
[更新日]2019年12月08日
[更新日]2019年12月08日
[参考]
・式内社調査報告 ・岐阜県神社庁ホームページ