所在地: | 新潟県南魚沼市山口中手原454 [地図] | |
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御祭神: | 国狭槌尊・瓊瓊杵尊・木花咲耶姫尊 | |
公式頁: | ||
社格等: | 村社 |
八海神社
はっかいじんじゃ
参拝日:2016年8月16日
暮坪の八海神社から宇田沢川を渡ると上原交差点。ここにあるスーパーマーケットでおにぎりを買って腹ごしらえ。さらに冷たい飲み物とアイスクリームを体に連続投入した。快晴の暑い夏の日、ここから県道214号線を東へ向かう。その途中、中世の八海山で薬師如来を本尊としていた時代の有力寺院という説のある上薬師堂の長福寺に立ち寄った。そして更に県道214号線を東へ向かい、残す距離の若干の登り坂を行けば当社の一の鳥居に到着する。13:00過ぎに到着。
八海山は原始、古代において山そのものを崇拝する形から、次第に密教や修験の霊山(本地仏は薬師如来)へと変遷し、江戸時代後期以降の木曽御嶽信仰では八海山大頭羅神王(八海山大神)が鎮座する山として古くからの信仰の山。
現在八海山の登山口は、大倉口、大崎口、城内口屏風道の3つが機能しているが、当社はそのうちのひとつ、城内口屏風道の里宮。八海山を中興開山した普寛が開いたのはこの屏風道。八海山の直下にあり、一番短い距離で山頂に到達する。その分険しい登山道でもある。
創建年代は不詳。初めは社殿をもたず、自然石を石祠として八海山を崇拝していたものが、のちにその場所に生長していた杉の木を御神体としていたという。その場所は「鳥居の木」と呼ばれていた。
江戸時代後期になると、八海登山道はいくつか開かれるようになり、その中の城内口生金道を開いた藤原村の井口家が生金本社を創建すると、それに続く形で山口村鎮守十二所神社神主村山家によって、天保11年(1840)「鳥居の木」の場所に里宮の社殿を創建したという。
八海山ロープウェーへ向かう県道214号線沿いに鳥居が建っていて、そこから杉並木の趣ある参道がある。参道を抜けると社務所にもなっている八海会館、その先に境内。社殿は八海山を背後にして建っている。
参道入口の一の鳥居
県道のすぐ脇にある。杉並木の参道
八海山杉並木(掲示板)
八海神社一の鳥居から二の鳥居までの参道約440mの両側に立ち並ぶ樹齢250年余りうっそうとした杉並木。総本数は256本で幹回りの最大なものは6.2mにも及び樹勢はすこぶる盛んです。
歴史については、1836年地域一帯が大かんばつに襲われた時地元24集落の住民が領主に被害の対策についてお願いした結果、水源かん養林造と霊峰八海山の景勝保全のため植林されたものであります。
歴史については、1836年地域一帯が大かんばつに襲われた時地元24集落の住民が領主に被害の対策についてお願いした結果、水源かん養林造と霊峰八海山の景勝保全のため植林されたものであります。
二の鳥居
二の鳥居
三の鳥居
社号標
境内
参道から拝殿
本殿
社殿全景
拝殿の扁額
神の池
脇には「八海山城内口一合目」の碑。神の池
池の中央に猿田彦命と天鈿女命の石碑祠。
暮坪八海神社から山口八海神社へ向かう途中に、八海山大神の本地仏、薬師如来を本尊とした中世信仰の拠点寺院との説のある長福寺に立ち寄ったので、ここに掲載してみる。
長福寺
途中に見える八海山
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
最寄り駅はJR上越線五日町駅で南東へ約6.1km。JR浦佐駅から南に約8.6km。浦佐駅にレンタサイクルがある。参拝者駐車場=なし
徒歩ではきびしい。バイク、自動車は容易に到着できる。
参拝時間は約20分ほど。
御朱印は社務所で受け付けている。
[作成日]2019年6月30日
[更新日]2019年6月30日
[更新日]2019年6月30日
[参考]・越後・佐渡の山岳修験 ・修験者と地域社会 ・境内掲示板