八百万のかみのやしろ巡り(仮)
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大前神社

おおさきじんじゃ

参拝日:2016年8月16日

所在地: 新潟県南魚沼市大崎4042 [地図]
御祭神: 宇迦之御魂命・佐田彦命・大宮能賣命・大己貴命・神功皇后(以上稲荷五神)
公式頁:
社格等:
延喜式内社 越後國魚沼郡 大前神社
明治6年村社

 
 八海山の信仰にかかわる神社を巡ることにした2016年8月16日、大倉の坂本神社から県道234号線を西へ進み、国道291号線を南下、トンネルの南側すぐの東側に大前神社の鳥居がある。10:20頃に到着。
 境内には氏子の方々が多くいて、あとで知ったのだが、式内社調査報告によると例祭日が8月17日でどうやらその準備だったようなのだが、後片付けのようにも見えた。どうだったのかな。。

 八海山は古くから信仰の山で、いまでは木曽御嶽信仰の霊山として知られている。原始、古代において山そのものを崇拝する形から、次第に密教や修験の霊山(本地仏は薬師如来)へと変遷し、江戸時代後期以降の木曽御嶽信仰では八海山大頭羅神王(八海山大神)が鎮座する山として信仰されている。当社は八海山の主な登山口のひとつ、八海山北西麓の大崎口にある。八海山へは当社の近くから西へ伸びる道があり、八海山尊神社の里宮から登っていく。所在地は新潟県南魚沼市大崎。国道から境内への参道が伸びており、とてもわかりやすいところに鎮座。JR浦佐駅から南東に約5km。

 延喜式神名帳に記載のある古社。創建年代ははっきりしていない。一説には延喜5年(905)京の稲荷社(伏見稲荷)を勧請したと伝わる。口碑にも和銅年間(708-715)や弘仁年間(810-824)、大同2年(807)6月に巻機山より遷座(『越後風土記節解』)など諸説あって、判然としていない。

 社伝では当社の地を元社(もとやしろ)といって、稲荷神を祀り、当社西約300mにある地を里社(さとやしろ)と称したという。大前神社の摂社に八海社があって、そのあたりを「宮ノ原」と呼んでいた。現在の八海山尊神社社務所のあたりで、大前神社も古くから八海山の信仰に関連する社であったと考えられる。

 祭神は宇迦之御魂命・佐田彦命・大宮能賣命・大己貴命・神功皇后の稲荷五神。

 その他には
 『神名帳考證』『特撰神名牒』 豊城入彦命
 『越後風土記節解』『神社覈録』 太田諸命(津速魂命三世孫)
 『越後野史』 大山祇命
 『南魚沼郡史』 天津彦火瓊々杵尊
 『神社明細帳』(明治16年) 豊受比売命

 古代から中世にかけて文献に現れることなく動向は不明となっている。享保15年(1730)伏見稲荷の分霊を受けて、稲荷大明神を称していたが、寛政9年(1797)には大前神社と改称していた記録がある。

 木曽御嶽信仰としての八海山を中興した人物に泰賢という人がいて、大前神社神官の一族の出身である。

 国道291号線から東に延びる参道があり、少し入ったところに鳥居がある。その先は階段になっていて、境内地は若干小高い。階段を登りきるとすぐに拝殿。開放感のある平坦な境内。
境内入口の鳥居
 
鳥居扁額
式内大前神社とある。
境内への階段参道
 
手水鉢
上に不動明王、左脇に猿田彦大神と刻まれた石碑。
拝殿
妻入りの入母屋造。
 
拝殿の扁額
本殿
 
社殿遠景
招魂碑
社殿の南側にある。
 
招魂碑周辺の石祠群
 
招魂碑周辺の石祠群
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
最寄り駅はJR上越線五日町駅で東へ約4km。JR浦佐駅から南東に約5km。浦佐駅にレンタサイクルがある。
参拝者駐車場=あり。
徒歩ではきびしい。当社付近までバス路線がある。バイク、自動車は容易に到着できる。
参拝時間は約10分ほど。
御朱印の受領については未確認。
[作成日]2019年6月29日
[更新日]2019年6月29日
[参考]・式内社調査報告 ・越佐の神社 ・越後・佐渡の山岳修験
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