所在地: | 新潟県南魚沼市大倉864 [地図] | |
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御祭神: | 天津彦火々瓊瓊杵命・木花開耶姫命 (配祠)彦大忍信命・紀白糸姫命 |
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公式頁: | ||
社格等: |
延喜式内社 越後國魚沼郡 坂本神社 延喜式内社 越後國魚沼郡 魚沼神社 明治5年村社(のち無格社) |
坂本神社
さかもとじんじゃ
参拝日:2016年8月16日
この日の早朝に新潟駅を出発、浦佐駅までは一度長岡駅で乗り換え。のんびりとした普通列車の旅。浦佐駅に8:30頃に到着。浦佐駅のレンタサイクルの開店時間に合わせたのだ。
浦佐駅からはレンタサイクルで巡る。地図を見ると浦佐駅から当社まで最短ルートもあるが、そういう選択をしていつも迷ってしまうため、わかりやすいルートとして浦佐駅の北側を東西に延びる県道でひとまず国道291号線に出、水無川の北側の道を進もうと予定していた。しかし当日その道は通行止めだったため、南側の県道で目指した。8月お盆期間の快晴の日、少し自転車をこぎ進めただけで汗がどっと吹き出し、上半身びっしょりになっていた。9:30頃に到着。
八海山は古くから信仰の山で、いまでは木曽御嶽信仰の霊山として知られている。原始、古代において山そのものを崇拝する形から、次第に密教や修験の霊山(本地仏は薬師如来)へと変遷し、江戸時代後期以降の木曽御嶽信仰では八海山大頭羅神王(八海山大神)が鎮座する山として信仰されている。当社は八海山の主な登山口のひとつ、大倉口にあり、その里宮である。八海山山麓の周辺にはこのような登山口にあって、その根拠地としての機能を有する里宮や、遙拝所が起源とされる八海神社が数多くある。
所在地は新潟県南魚沼市大倉。本社は山頂の御室にある。JR浦佐駅から南西約7km、八海山麓スキー場が北西2kmにある。
祭神は天孫彦火々瓊々杵尊、木花咲耶姫、配祀として彦大忍信命(孝元天皇皇子)、紀白糸姫命。また他に日本武尊、大己貴命を祀っているという説もあるらしい。
里宮として建立されたのは天明5年(1785)とされ、かつての里宮には鳥居だけがあり、八海山遙拝所の意味合いのほうが濃かったようである。ここで参拝することを「鳥居参り」と言っていた。やがて木曽御嶽信仰が伝播するに至り、石祠が建立されて里宮として入山の拠点となり、明治期に入ってから再建され、いまの社殿は昭和5年に造営された。
延喜式内社「坂本神社」の論社、八海山の「坂本」に坐す神の意であろう。通称八海神社ともいわれる。江戸時代は八海山大明神と称していた。
また延喜式内社「魚沼神社」の論社にも挙げられている。坂本神社と魚沼神社の両方の論社になっている社は多い。
当社を式内坂本神社とする文献には、一説として挙げている『越後国式社考』がある。また『特選神名蝶』には当社と宮の坂本神社のいずれとも決め難しとして、両社を魚沼神社の論社に掲げている。
県道から少し入った境内への入口には庚申塔が建つ。登山道の道案内の加護を得ようとするものだと思われる。境内には八海山信仰に関わる多くの霊神碑や奉納石碑が立ち並んでいて、信仰の深さの一端を感じさせてくれる。境内社はない。社域から西へ500mほどの県道沿いに社務所がある。当社の社家は八海山では最も古い家系とされている。
社務所には今回は参拝の帰りに立ち寄らせて頂いた。ちょうど在宅されていて、少し休んでおいきと言ってくださり、社務所にあげて頂き、冷たいお茶までごちそうになった。感謝。
境内への道の庚申塔
境内入口
階段参道の前に奉納幟。左側には登山口の食堂。境内の階段参道
拝殿前の参道の鳥居
扁額には「坂本神社」とある。拝殿
入母屋造。拝殿と本殿
拝殿右側には紀元2600年記念の大きな奉納石碑。拝殿の扁額
「八海大神」とある。拝殿の奉納額
神名が3つ、中央に一段高く「国常立命」右「国狭槌命」左「豊斟渟命」。『日本書紀』で天地開闢の後にこの順番で現れた神々。拝殿内陣
本殿
流造。覆屋となっているのか、あるいは内部に本殿が格納されているのか、未確認。大倉登山口
境内から八海山への登山口
当社社務所が神社の西約500mにある。大倉口から登山する信仰者の拠点となっている。
坂本神社社務所入口
坂本神社社務所
神楽殿
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
最寄り駅はJR上越線、上越新幹線浦佐駅から南東へ直線で約7km。浦佐駅にレンタサイクルがある。参拝者駐車場=なかったと思う。
徒歩ではきびしい。国道291号線の荒金橋付近まではバス路線がある。バイク、自動車は容易に到着できる。
参拝時間は社務所を含めて約30分ほど。
御朱印は社務所で受け付けている。
[作成日]2019年6月26日
[更新日]2019年6月26日
[更新日]2019年6月26日
[参考]・式内社調査報告 ・境内掲示板 ・越佐の神社 ・越後・佐渡の山岳修験