所在地: | 南魚沼市長森781 [地図] | |
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御祭神: | 水徳神国狭槌命・天津日子瑤之許命・伊茂神々吾田鹿違津姫命 | |
公式頁: | ||
社格等: |
八海神社
はっかいじんじゃ
参拝日:2016年8月16日
水尾八海神社から宇田沢川を渡って上原交差点から県道線で東へ向かう。を少し南下して麓交差点から県道28号線を南下、宇田沢川を渡る橋の手前の道を北方向に進んでいくと到着する。途中に日本酒「八海山」の八海醸造を通り過ぎる。ここにあるんや~とつぶやきながら、すでにけっこうな距離を進んできた汗だくの僕はさらにペダルを回す。12:20頃に到着。
八海山は古くから信仰の山で、いまでは木曽御嶽信仰の霊山として知られている。原始、古代において山そのものを崇拝する形から、次第に密教や修験の霊山(本地仏は薬師如来)へと変遷し、江戸時代後期以降の木曽御嶽信仰では八海山大頭羅神王(八海山大神)が鎮座する山として信仰されている。
当社は八海山登山口のひとつ、城内口祓川道の里宮。通称「元里宮」と呼ばれている。この祓川道は古い道らしく、弘法大師空海や上杉謙信が登山した伝承があるのはこの道。
創建について、当社所蔵の『八海山大明神由緒及記録』によれば、応神天皇の御宇、大和国豊明の里の人、栗田清国が日向高千穂に参籠したところ、水徳神国狭槌命・天津日子瑤之許命・伊茂神々吾田鹿違津姫命が現れて、越後八海山に祭祀するように託宣があった。そこで栗田清国は帰国した後、八苗の氏子を引き連れ、条内郷に下り、八海山に三注の神々を祀り、暮坪に遥拝所を設けた。延喜年間には社殿を建立したという。
寛政8年(1796)、当社こそが山頂の峯八海山大明神の兄弟社だと主張した上で社殿を新たに造営した。伝統的な地位を確保しようとするものであったようである。
大正から昭和期には積極的な活動は目立たなくなって講を満願寺に譲り、いまでは大崎口里宮に協力する形が構築されている。
県道28号線と宇田沢川が交差する橋から北へ伸びる道の一番奥まったところが境内入口。そこからさらに奥へ進むと鳥居が建っている。その先にはすでに拝殿が見えている。境内社はない。
参道
お祭りの横断幕がかかっていた。境内入口の鳥居
境内
後片付けの途中のように見えたが、準備だったのかも。拝殿
現在城内口祓川道の講を所管している満願寺が神社の南約200mにある。泰賢が修行した寺。
参道
本堂への道
一見すると民家のようだったので、この先の立ち入りを遠慮した。交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
最寄り駅はJR上越線五日町駅で南東へ約3.1km。JR浦佐駅から南に約7.6km。浦佐駅にレンタサイクルがある。参拝者駐車場=なし
徒歩ではきびしい。バイク、自動車は容易に到着できる。
参拝時間は満願寺を含めて約10分ほど。
御朱印は社務所で受け付けている。
[作成日]2019年6月29日
[更新日]2019年6月29日
[更新日]2019年6月29日
[参考]・越後・佐渡の山岳修験 ・修験者と地域社会