八百万のかみのやしろ巡り(仮)
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八海山尊神社

はっかいさんそんじんじゃ

参拝日:2016年8月16日

御朱印
所在地: 新潟県南魚沼市大崎3746 [地図]
御祭神: 国狭槌尊・天津彦火瓊々杵尊・木花開耶姫尊・大山祇尊・日本武尊
公式頁: http://hakkaisan-sonjinja.jp/
社格等:

 
 2016年8月16日の参拝、八海山信仰関連の神社を回ろうと企画した日。大倉の坂本神社大前神社からの巡拝。大前神社から国道291号線を少し南下すると西へ向かう道があり、それを進んでいくと到着する。10:40頃に到着。

 八海山は古くから信仰の山で、いまでは木曽御嶽信仰の霊山として知られている。原始、古代において山そのものを崇拝する形から、次第に密教や修験の霊山(本地仏は薬師如来)へと変遷し、江戸時代後期以降の木曽御嶽信仰では八海山大頭羅神王(八海山大神)が鎮座する山として信仰されている。

 江戸時代後期に木曽御嶽山を中興した普寛が寛政6年(1794)に当地大崎村出身の泰賢を伴って城内口屏風道を開山、八海山は木曽御嶽信仰の霊山として、全国にその名が知られるようになった。その後泰賢によって八海山大崎口が享和3年(1803)に開かれ、その際小堂を建立したという。それ以前は石祠と鳥居のみが里宮の地にあって、住民は鳥居から八海山を遙拝していた。それを「鳥居参り」と言っていた。泰賢は大崎口里宮を拠点に諸国を行脚して八海山信仰を全国に広めた。

 昭和3年に社殿が建てられ(現在の元宮)、昭和15年に神社として公認された。昭和54年に現在の社殿が建てられ、八海山尊神社と称するようになった。
 現在は八海山信仰において最も活発な活動をしている。

 国道291号線から西へ伸びる道の一番奥まったところが境内、そこからは登山道。境内入口の参道の前はとても広いスペースが確保されている。秋にはこの場所で当社最大の行事、「火渡大祭」が多くの信者を集めて執り行われている。境内へは階段の参道、途中に鳥居が建っている。その先にはすでに拝殿が見えている。八海山尊神社からさらに奥まったところに元宮(旧里宮)がある。
境内前

八海山西麓、夏の緑に包まれた社。
境内へ階段参道
境内前の広場から神社に向かって柏手を打つと石段が鳴り響く事から龍鳴(りゅうめい)と呼ばれている。
 
参道の鳥居
玄武の奇岩
鳥居の左側にある。
 
拝殿前の階段参道
拝殿
切妻造。
 
拝殿
拝殿内陣
 
本殿
霊風殿
八海山大神の神像を祀った社殿。弘法大師像も安置されている。
 
 
登山口の里宮(元宮)が本社の東約200mにある。
里宮の鳥居
 
里宮参道の鳥居
門神2柱の石碑
櫛磐間戸神、豊磐間戸神
 
参道から社殿
社殿
 
社殿の扁額
「八海山神社」とある。
泰賢行者の霊窟
享和年間に泰賢行者がこの霊窟にて3年間籠って木食行を行い、八海山大崎口開闢の霊夢を得た。
 
泰賢霊神碑
猿田彦大神の石祠碑
 
八海山大崎口の登山口
当社社務所が神社の北西約1.3km、大崎集落の中にある。
社務所入口
 
八海山尊神社社務所
八海山龍谷寺
社務所の向かいにある。堂平山中腹にあった六万寺が前身。八海山信仰と関連があったとされる。大前神社摂社八海社の旧地とも。
 
龍谷寺本堂
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
最寄り駅はJR上越線五日町駅で東へ約4.6km。JR浦佐駅から南東に約5.8km。浦佐駅にレンタサイクルがある。
参拝者駐車場=あり。
徒歩ではきびしい。社務所のある大崎集落まではバス路線がある。バイク、自動車は容易に到着できる。
参拝時間は社務所、龍谷寺を含めて約1時間分ほど。
御朱印は本社の他、社務所でも受け付けている。
[作成日]2019年6月29日
[更新日]2019年6月29日
[参考]・当社ホームページ ・越後・佐渡の山岳修験
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