八百万のかみのやしろ巡り(仮)
交通機関 | 宿泊施設 | 文  献
参拝記録→北海道・東北 | 関東 | 甲信越・北陸 | 東海 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州
延喜式内社→宮中京中 | 畿内 | 東海道 | 東山道 | 北陸道 | 山陰道 | 山陽道 | 南海道 | 西海道
国史現在社→宮中京中 | 畿内 | 東海道 | 東山道 | 北陸道 | 山陰道 | 山陽道 | 南海道 | 西海道
御朱印収集→北海道・東北 | 関東 | 甲信越・北陸 | 東海 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州
一の宮巡り→畿内 | 東海道 | 東山道 | 北陸道 | 山陰道 | 山陽道 | 南海道 | 西海道

鳥越神社

とりごえじんじゃ

参拝日:2017年3月29日

鳥越神社
所在地: 東京都台東区鳥越2-4-1 [地図]
御祭神: 日本武尊、(配祠)天児屋根命、(合祀)徳川家康
公式頁: http://www004.upp.so-net.ne.jp/kab_ra/
社格等:

 
 2017年3月29日午前の参拝。大手町の将門塚から兜神社へ向かっている時は出勤する人たちもまだ少ない感じであったが、兜神社から当社へ向かう時には、スーツ姿で自転車に乗っている人や地下鉄駅からゾロゾロと人があふれてきていた。  昭和通りから江戸通り、浅草橋交差点、蔵前1丁目交差点を経由して当社に8:10頃到着。

 東京都台東区鳥越に鎮座。蔵前1丁目交差点から蔵前橋通りを西へ約280m。東約700mあたりに隅田川が流れ、蔵前橋がかかっている。

 社伝によると創建は白雉2年(651)、日本武尊が東征した時、当地に滞在していたことがあったので、村人たちは尊の御威徳を偲び、白鳥山の山頂(現在地)に日本武尊を祀り白鳥明神として奉祀されたことにはじまるという。
 下って、永承年間(1046-1053)の前九年の役の時、奥州へ向かう源頼義・義家が武蔵の大川(旧宮戸川・隅田川)を渡ることに苦心していた時、白鳥に浅瀬を教えられ、軍勢を渡すことができたという。これを白鳥明神の御加護であるとして、源義家は当社に参拝、鳥越大明神の御社号を奉り、鳥越神社と称されるようになったという。
 江戸期に入ると江戸城下の整備のために鳥越の山の土は徐々に取り崩され、三代将軍家光の頃にいまのような平地になった。

 祭神は創建以来の日本武尊のほか、天児屋命は武蔵国司になった藤原氏が祖神を祀ったものという。徳川家康は関東大震災で焼失した近隣の松平神社を大正14年に合祀したもの。

 また「鳥越」の由来には別の説があって、都で晒された平将門の首が東国へ空を飛んできた時、この地を飛び越えていったので「鳥越」という地名がついたというもの。

 蔵前橋通りに面して南面の鳥居が建つ。東側からも境内へ入れ、こちらが社殿とは相対する。西側にも境内入口、こちらには鳥居が建つ。社殿は東面している。境内社に福寿神社、志志伎神社、祖霊社がある。
境内入口の鳥居
 
拝殿
本殿

 
本殿、後方から
 境内社が三社あり、いずれも玉垣に囲まれ区画されている。境内東入口に福寿神社、社殿の南側に志志伎神社と祖霊社。
 志志伎神社は向柳原の対馬藩邸内に宅神として祀っていた志志伎神社を、対馬藩主が民衆にも参拝できるよう、台東1丁目2番地あたりに勧請して創建したという。安産の神として崇敬される。平成13年、鳥越神社鎮座1350年を奉祝して境内社として祀るようになった。
福寿神社
倉稲魂命、大黒天神、恵比寿神、菅原道真を祀る。
 
志志伎神社
祭神は豊玉姫命。社名から肥前平戸島の式内社志々伎神社が本社と推測される。
祖霊社

 
境内西側の鳥居

 
拝殿の社号扁額

 以下は余談。。
 参拝を終えたのは8:20頃。この日、というより早朝参拝はここで打ち止め。蔵前橋通りを西へ、朝の秋葉原の電気街のようすを伺って宿へ戻った。帰ってからもう一度朝ごはんを食べ、シャワーを浴びてから勤務に向かった。ヨカッタ、々。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間
地下鉄各線蔵前駅から徒歩約7~13分
参拝者駐車場=なし
駐車=バイク×、自動車×。
市街地の神社で駅から近い。容易に到着できる。
参拝は約5分程度。
[作成日]2018年2月6日
[更新日]2018年2月6日
[参考]  ・境内由緒書
©2018- 2024 日仮名湯栗(Higana Yukuri) All Rights Reserved. 当サイトの画像、テキストの無断転載を禁止します。