八百万のかみのやしろ巡り(仮)
交通機関 | 宿泊施設 | 文  献
参拝記録→北海道・東北 | 関東 | 甲信越・北陸 | 東海 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州
延喜式内社→宮中京中 | 畿内 | 東海道 | 東山道 | 北陸道 | 山陰道 | 山陽道 | 南海道 | 西海道
国史現在社→宮中京中 | 畿内 | 東海道 | 東山道 | 北陸道 | 山陰道 | 山陽道 | 南海道 | 西海道
御朱印収集→北海道・東北 | 関東 | 甲信越・北陸 | 東海 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州
一の宮巡り→畿内 | 東海道 | 東山道 | 北陸道 | 山陰道 | 山陽道 | 南海道 | 西海道

青渭神社

あおいじんじゃ

参拝日:2017年3月11日

青渭神社
所在地: 東京都稲城市東長沼1054 [地図]
御祭神: 青渭神・猿田彦命・天鈿女命
公式頁:
社格等: 延喜式内社 武蔵國多磨郡 青渭神社
明治6年 郷社

 
 2017年3月11日午前の参拝。穴澤天神社から都道19号線榎戸交差点に戻る。そこから西進して稲城福祉センター入口交差点を北に向かい、東側に畑のある交差点を東に曲がると青渭神社の鳥居が建ち、参道が北に伸びている。11:45頃に到着。

 東京都稲城市東長沼に鎮座。JR南武線稲城長沼駅から南へ直線約200m、駅からだと社殿の裏側に到達する。北約850mの地点に多摩川が流れている。

 延喜式神名帳に記載のある古社。式内青渭神社の論社は三社あり、当社はそのひとつ。
 当社を比定するのは『特選神名牒』『大日本地名辞書』『新編武蔵風土記稿』など。
 創建年は不詳としながら、弘仁年中(810~824)創建の伝承があると境内の由緒書はいう。かつて付近には大きな沼があり、青沼明神や大沼明神とも呼ばれていた。また『新編武蔵風土記稿』には大沼から神体が出現したという話しも。明治初年に青渭神社と改称した。

 祭神は青渭神・猿田彦命・天鈿女命
 その他の説に
 『式内社調査報告』 大国主命
 『特選神名牒』 青沼馬押比売命
 『新編武蔵風土記稿』 猿田彦命(青沼大明神)
 『江戸名所図会』 太田命・猿田彦大神  がある。

 都道19号線稲城福祉センター入口交差点と都道9号線東長沼交差点を結ぶ道路沿いが境内だが、住宅の陰になって見えないかも。境内は砂地でかつて多摩川の流路となっていた時期があるようだ。境内入口の鳥居の前は畑。鳥居から社殿まで南北に長細い境内。鳥居脇に円柱型の社号標、鳥居をくぐると未舗装の参道、社殿の周囲は若干広がる。鳥居から直線、全てやや西寄りの南面である。
 境内社は一棟に二社あり。

 (雑記)諸文献は祭神に一定を見ないが、『新編武蔵風土記稿』は猿田彦命を青沼大明神と同神格としている。  これは庚申信仰がこの地域で盛んだったようで、付近に江戸期の庚申塔が多く残っている。青沼大明神と庚申信仰は当社においては習合したのではないだろうか。
境内入口の鳥居

 鳥居脇の社号標には「郷社 青渭神社」とある。
 
参道

 
参道の二の鳥居

 
境内

拝殿

 入母屋造り向拝付き。
 
本殿

 境内由緒書によると、内陣に建立数百年を経ている本殿が格納されているとのこと。
稲荷社と祭神不明の社

 式内社調査報告には境内社稲荷社一社となっているが、内部に少祠が二つ、ひとつが朱塗りなので稲荷社と思われる。
 
 
境内由緒書
 当社創建の年代は詳らかでないが弘仁年中の創立との伝承がある。延喜式神名帳所載の多摩八座の一社で古社である。  祭神は青渭神、猿田彦命、天鈿女命を祀る。  昔は大沼明神又は青沼大明神と称した。  大祭には青渭獅子舞奉納の神事がある。現社殿は昭和49年の造営であるが本殿は往昔のままで数百年を経ている。  明治6年郷社に列せらる。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間
 JR南武線稲城長沼駅から徒歩約5分、京王相模原線稲城駅から徒歩約15分(共に参道の鳥居まで)
 参拝者駐車場=なし
 駐車=バイク×、自動車×。
 JR線、京王線共に駅から近い。容易に到着できる。
 参拝は約3分程度。
[作成日]2018年1月1日
[更新日]2018年1月1日
[参考]  ・境内由緒書 ・式内社調査報告 ・武蔵の古社 ・特選神名牒
©2018- 2024 日仮名湯栗(Higana Yukuri) All Rights Reserved. 当サイトの画像、テキストの無断転載を禁止します。