所在地: | 東京都府中市宮町3-1 [地図] |
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御祭神: |
中殿 : 大國魂大神・御霊大神・国内諸神 東殿 : 小野大神(一宮)・小河大神(二宮)・氷川大神(三宮) 西殿 : 秩父大神(四宮)・金佐奈大神(五宮)・杉山大神(六宮) |
公式頁: | https://www.ookunitamajinja.or.jp/ |
社格等: | 延喜式内社 武蔵國多磨郡 大麻止乃豆乃天神社 |
武蔵国総社 | |
明治7年県社 官幣小社 准勅祭社 別表神社 |
大國魂神社
おおくにたまじんしゃ
参拝日:2017年3月11日
2017年3月11日午後の参拝。大麻止乃豆乃天神社をあとにして、都道17号線の是政橋で再び多摩川を渡る。
東京競馬場の北側へ左回りで行き、途中一度行ってみたかった東京競馬場に立ち寄った。開催日ではなかったが、長い直線を見たくてまずスタンドに行き、そのあと何も見ずに、何かの語呂合わせで他競馬場のメインレースの馬券を購入した。結果は宿に戻ってネットで確認したがもちろん当たっていなかった。馬場の広さに感激した。いつか日本ダービーの日に訪問してみたいと思った。ちなみに東京競馬場の場所にはかつて大國魂神社の御供田があったそうだ。目黒から競馬場が移転するのは昭和8年なので、昭和5~7年頃までだろうか。
そのあと競馬場正門前の小高い丘にある、大國魂神社の境外末社天神社に参拝後、大國魂神社の正面に13:00頃に到着。
景行天皇41年5月5日、大神の託宣によって創立された武蔵の国魂神を祀る神社。大國魂大神と称し、大国主神と同神。出雲臣天穂日命の後裔が武蔵国造に任じられ当社に奉仕して以来、武蔵国造が代々奉仕した。
大化の改新により国府がこの地に置かれると、国造に代わって国司が奉仕するようになり、当社が国内の祭務を総轄する所になった。また国司による国内社の奉幣巡拝の便宜を図るため、国内諸神を一カ所に集め奉祀、武蔵国総社の起源となった。左右の相殿に特に国内著名の神社六社を配祀したので、六所宮・六所明神と称された。
・一宮小野大神 天ノ下春命(国造の祖神)
・二宮小河大神 国常立尊
・三宮氷川大神 須佐之男命・稲田姫命・大己貴命
・四宮秩父大神 八意思金命・知知夫彦命・天之御中主神
・五宮金佐奈大神 天照大神・素戔鳴尊・大和武尊
・六宮杉山大神 五十猛命・大日孁貴命・素戔鳴尊
延喜式神名帳に記載のある大麻止乃豆乃天神社の論社のひとつ(『江戸名所図会』)だが、当社が特に主張することはないようである。また境外社の天神社にも大麻止乃豆乃天神社という説がある。
京王線府中駅西側の国名勝天然記念物指定馬場大門欅並木を南に向かうと境内入口の大鳥居、境内参道は社殿まで南北の真っすぐ、隋神門、中雀門をくぐるとすぐに拝殿。境内入口から社殿まですべて南面。
境内社は参道の途中に二社、稲荷社と宮乃咩社、社殿の周囲に六社、水神社、松尾神社、巽神社、東照宮、住吉神社、大鷲神社がある。
境内入口の鳥居
鳥居前は旧甲州街道。境内参道
隋神門
向かって左が櫛磐間戸命、右が豊磐間戸命の神像。平成23年改築の新しいもの。中雀門
拝殿
切妻造りで千鳥破風と軒の長い唐向拝が付く。 破風と向拝の軒先できれいな三角になっていて良いなと思った。
拝殿
常に人が多くにぎやかな拝殿前。拝殿
大棟部の張り出しが長い千鳥破風。破風自体も向拝部分になっている。拝殿の社号扁額
「総社六所宮」とある。
本殿
寛文7年(1667)造営の三間社流造。しっかり見通すことはできなかった。本殿
後方から。鼓楼
東鳥居
西鳥居
境内社は参道西側に稲荷社、東側に宮乃咩社、社殿の周囲には多く鎮座している。社殿の周囲は時計回り順で掲載。
稲荷神社
正面参道から境内に入ると最初にある社。宮乃咩神社鳥居
創立は本社と同時といわれている。祭神天鈿女命。
宮乃咩神社
青袖杉舞祭で重要な社。北条政子が安産祈願した話も伝わる。
水神社
祭神水波能売命。松尾神社鳥居
祭神大山咋命。松尾神社
寛政12年(1800)京都の松尾大社から勧請。巽神社
祭神市杵嶋姫命。東照宮
祭神徳川家康。住吉神社・大鷲神社
祭神表筒男命・中筒男命・底筒男命・大鷲大神。大阪の住吉大社、大鳥神社からの分霊を祀る。
公式ホームページによれば境外社が4社、御旅所も近くにあるが、リサーチ不足で当日には天神社を除き行けていない。
坪宮
国造神社ともいう。祭神は武蔵国初代国造、兄多気比命。大國魂神社より西に約500m。
瀧神社
祭神加茂別雷命・玉依姫命・加茂別建角身命。大國魂神社より東に約1.5km。国府八幡宮
祭神応神天皇。創建は聖武天皇の御宇という。大國魂神社より東に約900m。神社辞典
大國魂神社の項
東京都府中市宮町。旧官幣小社(現、別表神社)。
本殿は一棟三殿の流造りで都重要文化財。中殿に大國魂大神・国内諸神、御霊大神。向かって左の東殿に一の宮小野大神、二の宮小河大神、三の宮氷川大神、右の西殿に四の宮秩父大神・五の宮金左奈大神・六の宮杉山大神を祀る。
創祀は景行天皇41年5月5日と伝え、当時は国造が代々奉仕したが、大化の改新により国府がこの地に置かれ、国司が奉仕するようになり管内神社の祭典を行う便宜上、一カ所に集め奉祀された。これが武蔵国総社といわれる起源で、左右の相殿に国内の一の宮より六の宮までの著名神社を合祀したので六所宮・六所明神とも称された。
源頼朝は寿永元年(1182)夫人の安産祈願のため奉幣、源武蔵守義信をして社殿を修造し、北条・足利阿氏もまた篤く崇敬した。徳川家康は江戸開幕にあたり神領500石を寄進し、社殿その他の建物を改築した。明治元年(1868)神祇官直支配の準勅祭社に列した。古来崇敬者は非常に多く、武蔵国は勿論関東一帯にわたり数10万に及ぶ。
例祭は5月5日で、神前の祭儀の後、浦野細谷両氏による御饌催促の儀・神楽七座の舞・八基の神興渡御等があり、国造代は摂社坪宮(国造神社とも称す)に参向、神輿渡御の由を奉告後、御旅所で神輿に奉幣を行う。神輿渡御は府中の闇夜祭と称され非常な殷賑を極める。特殊神事は4月30日=品川海上禊祓式、5月2日=御鏡磨祭、5月3日=競馬式、5月4日=御綱祭、8月1日=相撲祭、9月27、28日=秋季祭(くり祭)とあるが、特に7月12、13日の青袖杉舞祭は源頼朝が文治2年(1186)武蔵国内の神職に天下太平の祈祷を命じ、以来参会し摂社宮之咩神社に青袖舞を、本社に杉舞を奉仕したのに始まると伝える。7月20日の李子祭は源頼義・義家父子の奥州征伐の戦勝報賽に由来すると伝えられ李子・栗飯が供えられる。当日烏扇が授与され、この扇で扇ぐと豊作・病気平癒の霊験があるといわれる。
狛犬一対(重文)をはじめ仏像本地仏五体・古鏡四面・六韜三略の古写本ほか古文書・刀剣及び石器・土器等多数あり宝物殿に展示されている。馬場大門欅並木は、国の天然記念物に指定されている。
本殿は一棟三殿の流造りで都重要文化財。中殿に大國魂大神・国内諸神、御霊大神。向かって左の東殿に一の宮小野大神、二の宮小河大神、三の宮氷川大神、右の西殿に四の宮秩父大神・五の宮金左奈大神・六の宮杉山大神を祀る。
創祀は景行天皇41年5月5日と伝え、当時は国造が代々奉仕したが、大化の改新により国府がこの地に置かれ、国司が奉仕するようになり管内神社の祭典を行う便宜上、一カ所に集め奉祀された。これが武蔵国総社といわれる起源で、左右の相殿に国内の一の宮より六の宮までの著名神社を合祀したので六所宮・六所明神とも称された。
源頼朝は寿永元年(1182)夫人の安産祈願のため奉幣、源武蔵守義信をして社殿を修造し、北条・足利阿氏もまた篤く崇敬した。徳川家康は江戸開幕にあたり神領500石を寄進し、社殿その他の建物を改築した。明治元年(1868)神祇官直支配の準勅祭社に列した。古来崇敬者は非常に多く、武蔵国は勿論関東一帯にわたり数10万に及ぶ。
例祭は5月5日で、神前の祭儀の後、浦野細谷両氏による御饌催促の儀・神楽七座の舞・八基の神興渡御等があり、国造代は摂社坪宮(国造神社とも称す)に参向、神輿渡御の由を奉告後、御旅所で神輿に奉幣を行う。神輿渡御は府中の闇夜祭と称され非常な殷賑を極める。特殊神事は4月30日=品川海上禊祓式、5月2日=御鏡磨祭、5月3日=競馬式、5月4日=御綱祭、8月1日=相撲祭、9月27、28日=秋季祭(くり祭)とあるが、特に7月12、13日の青袖杉舞祭は源頼朝が文治2年(1186)武蔵国内の神職に天下太平の祈祷を命じ、以来参会し摂社宮之咩神社に青袖舞を、本社に杉舞を奉仕したのに始まると伝える。7月20日の李子祭は源頼義・義家父子の奥州征伐の戦勝報賽に由来すると伝えられ李子・栗飯が供えられる。当日烏扇が授与され、この扇で扇ぐと豊作・病気平癒の霊験があるといわれる。
狛犬一対(重文)をはじめ仏像本地仏五体・古鏡四面・六韜三略の古写本ほか古文書・刀剣及び石器・土器等多数あり宝物殿に展示されている。馬場大門欅並木は、国の天然記念物に指定されている。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間
境内入口の鳥居まで京王線府中駅から徒歩約4分、JR武蔵野線府中本町駅から徒歩約15分参拝者駐車場=あり
駐車=バイク〇、自動車〇。
駅から近く容易に到着できる。
参拝は約30分程度(境外社は含まない)。
[作成日]2018年1月5日
[更新日]2018年1月5日
[更新日]2018年1月5日
[参考]
・境内由緒書 ・神社リーフレット ・公式ホームページ ・神社辞典(東京堂出版)