所在地: | 東京都調布市佐須町1-14-3 [地図] |
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御祭神: | 大歳御祖神、倉稲魂命 |
公式頁: | |
社格等: | 延喜式内社 武蔵國多磨郡 虎柏神社 |
明治6年郷社 |
虎狛神社
こはくじんじゃ
参拝日:2017年3月11日
東京都調布市佐須町に鎮座。京王線布田駅から北へ直線約1.3km。布田駅から近く道もわかりやすい。東京の典型的ベッドタウンの風景なのかなと思いつつ、そんな住宅街の中の神社。
社伝によれば創建は崇峻天皇2年(589年)8月で、当初より大歳御祖神を祀っていたとされる。大歳御祖神は大歳神の母神。後いつの頃か不明だが倉稲魂命をあわせ祀るようになったのは、ともに穀物を司る神だからであるのかも。
延喜式神名帳に記載のある古社、式内虎柏神社の論社は二社あり、当社はそのひとつで、神名帳写本の諸書には「とらかしは」と訓みを付している。当社を比定するのは『式内社調査報告』『特選神名牒』『新編武蔵風土記稿』など。
ところで神名帳記載の「虎柏」については書き誤りであり、元々虎狛であったとする説がある(『新編武蔵風土記稿』)。また虎狛の読み方は「こま」で、当地が『和名抄』の狛江郷に属していたことに適合し、創建時の当社の祭神は、本邦に渡来し当地方に土着した帰化人の祖神を祀っていたとも。『武蔵演路』に祭神素盞嗚尊とあるのはその説に因ったものかもしれない。それを展開し、深大寺の国宝白鳳仏も渡来人の招来であるという説もある。
都道121号線の佐須町交差点の西約200mが虎狛神社の境内。境内入口の鳥居は道路の歩道に近接している。住宅地の中の神社にしては、鬱蒼とした印象をもたらす境内。鳥居から社殿まではすぐ。境内は広くない。鳥居から社殿まで直線、全てやや東寄りに北面して建つ。
境内社はなし。
境内入口の鳥居
鳥居の扁額
拝殿
社殿
本殿覆屋
本殿説明板
覆屋に一間社流造の本殿。
境内
境内由緒書
虎狛神社
虎狛神社は、今から1425年前の崇峻天皇2年(589年)8月に創建され、農業の神様である大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)がお祀りされて祭事が始まったと伝えられています。爾来、地元住民に崇敬され、地域の団結と発展、心の拠り所として佐須の中心となっております。後に穀物の神様である倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)も合祀され、江戸末までは、虎狛山祇園寺の別当が、神事を司っておりました。尚地域内には、祇園寺東に位置し、天照皇大神をお祀りする「神明宮」、晃華学園南西角には、「里の稲荷」別名「樫ノ木稲荷」があり、これらも神社の氏子によって守られてきました。 建長5年(927年)の『延喜式神名帳』には武蔵国の式内社四十四座、多摩郡八座の一つとしての記録があります。現在の社殿は天和3年(1683年)に再建され、調布・狛江両市にあって最も古い建造物です。このため平成24年には、社殿並びにその小屋裏に残されていた三枚の棟札が調布市文化財の指定を受けました。
虎狛神社は、今から1425年前の崇峻天皇2年(589年)8月に創建され、農業の神様である大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)がお祀りされて祭事が始まったと伝えられています。爾来、地元住民に崇敬され、地域の団結と発展、心の拠り所として佐須の中心となっております。後に穀物の神様である倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)も合祀され、江戸末までは、虎狛山祇園寺の別当が、神事を司っておりました。尚地域内には、祇園寺東に位置し、天照皇大神をお祀りする「神明宮」、晃華学園南西角には、「里の稲荷」別名「樫ノ木稲荷」があり、これらも神社の氏子によって守られてきました。 建長5年(927年)の『延喜式神名帳』には武蔵国の式内社四十四座、多摩郡八座の一つとしての記録があります。現在の社殿は天和3年(1683年)に再建され、調布・狛江両市にあって最も古い建造物です。このため平成24年には、社殿並びにその小屋裏に残されていた三枚の棟札が調布市文化財の指定を受けました。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
京王線布田駅から徒歩約25分。参拝者駐車場=なし。
駐車=バイク×、自動車×。
徒歩は駅から少し距離がある。神社近くにバス停あり。容易に到着できる。
参拝は約5分程度。
境内に社務所はない。要事前確認。
[作成日]2017年12月30日
[更新日]2017年12月30日
[更新日]2017年12月30日
[参考]
・境内由緒書 ・式内社調査報告 ・武蔵の古社 ・特選神名牒