八百万のかみのやしろ巡り(仮)
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布多天神社

ふだてんじんしゃ

参拝日:2017年3月11日

布多天神社布多天神社御朱印
所在地: 東京都調布市調布ヶ丘1-8-1 [地図]
御祭神: 少彦名命・菅原道真
公式頁: http://fudatenjin.or.jp/
社格等: 延喜式内社 武蔵國多磨郡 布多天神社
明治6年郷社

 
 2017年3月11日午前の参拝。青渭神社虎狛神社からの巡拝。虎狛神社から三鷹通りと名のついた都道121号線を南下して再び国道20号線の甲州街道、下布田交差点を西進すると布田天神前交差点に、そこから北への道が参道。10:00頃に到着。

 東京都調布市、京王線調布駅の北500mに鎮座。調布駅前のにぎやかなエリアから国道20号線を越えると、周囲に大学のキャンパスもあり、広い境内には木々がバランスよく生い茂って落ち着いた感じ。とても居心地がよかった。

 社伝によれば創建は垂仁天皇の御宇という。元は当地より南へ約1.4kmの多摩川の近く、現在の古天神公園の地に鎮座していたが、文明年間(1469-87)に多摩川の洪水により現在地に遷座され、その時に菅原道真を配祀した。

 延喜式神名帳に記載のある古社、布多天神社の比定社。
 主祭神は少彦名命、菅原道真を配祀する。数多くの資料はそれに従っているが、度会延経『神名帳考証』は豊宇気姫、『特選神名牒』は祭神不明とするなど異なった見解もある。

 当社の鎮座地調布について社伝には、
 桓武天皇の御宇、木綿の実が伝わったが製造方法を知るものがいなかった。その頃広福長者という人が当社に七昼夜参籠し神託によって布の製法を得て、多摩川にさらし調えて、朝廷に奉った。これが我が国における木綿の初めとされる。帝はこの布を調布(テツクリ)と名づけ、以来この地を調布の里と呼ぶようになったという。
 上記伝承の真偽はともかく、この付近の多摩川は浅瀬で布をさらすのに適した場所で、古代より布を多摩川さらして製造し、「調」として朝廷に奉ったことは間違いなく、当社もその生産に関わった神社と考えられる。前述の広福長者は布の製法をもたらした帰化人だと考える説もある。
 江戸時代には甲州街道が整備され、上石原、下石原、上布田、下布田、国領の五宿ができ、布田五宿と呼ばれ、布多天神社は五宿天神とも称されていた。

 参道は旧甲州街道から伸び、国道20号線の布田天神前交差点を越えて約100mで境内入口の鳥居、向かって左脇に大きな社号標。鳥居から拝殿まで直線の参道、手入れが行き届いた気持ちのよい境内。鳥居から社殿まで直線、全てやや西寄りに南面して建つ。
 境内社は主に拝殿の東側にまとまっている。

鳥居前の参道

国道20号線からの参道脇にはワンルームマンションらしき建物が多いのは、すぐ西隣が大学だからであろう。
 
境内入口の鳥居

鳥居からまっすぐ伸びる参道。この日は暖かく、木陰が心地よかった。
境内の参道と手水舎

この先の玉垣あたりから若干参道が西向きになっていることがわかる。
 
境内の参道と拝殿

拝殿

入母屋造りで千鳥破風と唐向拝が付く。
拝殿の扁額

 
拝殿の提灯

本殿覆殿

内陣に宝永3年(1706)再建の本殿。
 
本殿説明板

境内

 
 
境内社は主に拝殿の東側の地区に立ち並ぶ。
拝殿側から稲荷神社、金比羅神社・大鳥神社、御嶽神社・祓戸神社・疱瘡神社、厳島神社。金比羅神社・大鳥神社以外は石祠。
境内社前の鳥居

 
稲荷神社

金比羅神社・大鳥神社

 
御嶽神社・祓戸神社・疱瘡神社

左から表題の順。
厳島神社か?

示すものはないが、おそらく厳島神社。
 
稲荷神社

境内参道の脇にもうひとつ稲荷社がある。
境内由緒書
 当神社は延喜式(第60代醍醐天皇の延長5(927)年に制定された法典)第9巻に名を列ねる多摩郡でも有数の古社である。もと多摩川畔の古天神というところにあったが文明(1469-87)年間多摩川の洪水を避けて、現在地に遷座された。其の折、祭神少名毘古那神に菅原道真命を配祀したと伝えている。
 社伝によれば往古、広福長者という人が当社に七日七夜参籠して神のお告げをうけ、布を多摩川にさらし調えて、朝廷に献上した。これが本朝における木綿の初めとされる。帝この布を調布(テツクリ)と名づけられ以来この辺りを調布の里とよぶようになったという。
 本殿は宝永3(1706)年、覆殿は昭和40年、幣殿拝殿向拝は昭和60年の造営にかかる(社殿約72坪)。 毎月25日の例祭日には奉納神楽があり境内には市がたち参拝者で賑わう。末社に金毘羅神社、稲荷神社、御嶽神社、祓戸神社、疱瘡神社、大鳥神社、厳島神社がある。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
京王線調布駅から徒歩約5分。
参拝者駐車場=未確認。あったような気がする。
駐車=バイク△、自動車?。
駅から近く、容易に到着できる。
参拝は境内社を含めて約20分程度。
御朱印は境内の授与所で常時受け付けていると思われる。
[作成日]2017年12月31日
[更新日]2017年12月31日
[参考]  ・境内由緒書 ・式内社調査報告 ・武蔵の古社
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