所在地: | 東京都千代田区外神田2-16-2 [地図] |
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御祭神: | 一の宮:大己貴命 二の宮:少彦名命 三の宮:平将門 |
公式頁: | http://www.kandamyoujin.or.jp/ |
社格等: | 准勅祭社 明治5年府社 別表神社 |
神田神社
かんだじんじゃ
参拝日:2017年4月14日
東京都千代田区外神田に鎮座。参道の鳥居の南側に湯島聖堂があり、その南に神田川とJRの御茶ノ水駅。東500mほどに秋葉原駅と御徒町駅間のJR山手線の線路。平日の昼間にもかかわらず多くの参拝客で賑わっていた。観光で、という人も多いのだろうが、地元に根付いている社とも感じられる。いい御社だなというのが口をついて出てくる。江戸期には神田明神と呼ばれていた。現在の正式名称は神田神社。境内をぐるっとまわってみると、周囲より高い土地なのがよくわかる。遷座の場所として、幕府は一等地を割り当てたんだなと思った。
江戸時代に武州総社、江戸総鎮守と仰がれた。徳川氏の保護を受け、江戸の民衆にも大いに崇敬された江戸屈指の神社である神田明神は、現在一の宮に大己貴命、二の宮に少彦名命、三の宮に平将門を祀っている。
武州総社や江戸総鎮守に、大己貴命、少彦名命という国土開拓の神を祀ることはとても自然であるように思える。しかし大己貴命を祭神として確定したのは江戸時代の中頃、1700年頃だといわれている。また少彦名命は、明治7年(1874)に大洗磯前神社(茨城県茨城郡大洗町)からの勧請という記録がある。
社伝によれば天平2年(730)、出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣によって現在将門塚のある附近、武蔵国豊島郡芝崎村(現千代田区大手町)に創建された。
のち天慶の乱を起こした平将門が天慶3年(940)に討たれると、首を埋葬した塚が築かれ、徳治2年(1307)真教上人が将門の霊を慰撫するため供養塔を建てた。平将門が合祀されたのは延慶2年(1309)との記録があり、以来「神田明神」と号するようになった。
中世後期から近世にかけては、太田道灌や北条氏綱といった関東地盤の武将によって手厚く崇敬されていたとも、また一時荒廃していた時期もあったらしい。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの前、徳川家康が戦勝祈願を行なったという。
慶長8年(1603)に駿河台の地に遷り、さらに元和2年(1616)に江戸城鬼門守護の場所である現在地に遷座、徳川秀忠は当社を武州総社、江戸総鎮守とし幕府により社殿が造営された。
明治元年に准勅裁社、明治5年に府社に列せられた。
例祭日は5月15日、神田祭としてよく知られている。
JR御茶ノ水駅から神田川を聖橋で渡ると右側に湯島聖堂、道なりに進むと湯島聖堂前の交差点で、それを右に進むと正面参道の大きな鳥居。鳥居の向こうに門神が配された朱塗りの豪壮な楼門が見通せる。社殿まですべて南向きに建っている。参道の両側は商店街。境内社が社殿の周囲に建ち並んでいる。
参道の鳥居
御茶ノ水駅の北、国道17号線沿いに建つ。
参道の商店街
境内入口の隋神門(楼門)
外回りには四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)の彫刻が施される。その他にも彫刻を飾っている。二層目に「繋馬」の彫刻が飾られていて、この繋馬は平将門に由来。正面に門神、右に豊磐間戸神、左に櫛磐間戸神。
隋神門の社号扁額
隋神門から境内
隋神門の提灯
拝殿前の境内
境内から隋神門
拝殿
朱漆塗の社殿。権現造の拝殿部。鉄筋コンクリートの社殿。平成15年、国登録有形文化財に登録。拝殿前の狛犬は正面を向いていて珍しい。
そういえば新宿区の稲荷鬼王神社の狛犬も正面を向いていた。
本殿、東側から
権現造の本殿部。透塀に囲まれている。本殿、後方から
境内社は社殿の周囲、南西の位置から北東の位置に並んで鎮座している。以下南西から時計回り順で掲載。
魚河岸水神社の鳥居
日本橋に魚市場があったころに徳川家の武運長久と大漁安全を祈願した市場の守護神が起源。魚河岸水神社
祭神は弥都波能売命。小舟町八雲神社の鳥居
小舟町八雲神社
祭神は建速須佐之男命。三天王の一社。大伝馬町八雲神社の鳥居
大伝馬町八雲神社
祭神は建速須佐之男命。三天王の一社。江戸神社
祭神は建速須佐之男命。大宝2年(702)現在の皇居内に創建、江戸最古の地主神という。元和2年(1616)神田明神が現社地に遷座と同じくして江戸神社も現社地に。三天王の一社。
浦安稲荷神社
祭神は宇迦之御魂神。元は江戸平川の河口に近い所(現内神田鎌倉町附近)に祀られていた。天保14年に遷座。三宿神社・金刀比羅神社の鳥居
三宿神社の創建は不詳。江戸時代より神田三河町二丁目の守護神として信仰されていた。金刀比羅神社は天明3年(1783)豊島郡薬研堀に創建された。隅田川の船人たちの守護神として信仰される。
昭和41年に三宿稲荷神社とともに鎮座。
三宿神社・金刀比羅神社
三宿神社祭神は宇迦之御魂神、金刀比羅神社祭神は大物主神、金山彦命、天御中主命。合祀殿の鳥居
平成24年に旧・籠祖神社社地に建立。
合祀殿
籠祖神社(猿田彦神・塩土老翁神)、本社本殿に合祀されていた八幡神社(誉田別命)、富士神社(木花咲耶姫命)、天神社(菅原道真・柿本人麻呂)、大鳥神社(日本武尊)、天祖神社(天照大御神)、諏訪神社(建御名方神)を合祀。祖霊社
神田明神を崇敬した人々の先祖を祀る。
石獅子
獅子の石像は庶民の信仰対象として多く作られた。これは数少ない江戸期のもの。拝殿の右側にある。千代田区指定有形民俗文化財。力石
境内社の立ち並ぶ間にある。銭形平次の碑
社殿の東側にある。平次は神田明神のご近所さん。正面鳥居
赤い看板は「明神甘酒」。今回はお試ししなかった。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
JR中央本線と東京メトロ丸の内線の御茶ノ水駅が最寄り、徒歩約7分。JR秋葉原駅、神田駅も徒歩圏内。参拝者駐車場=若干あり、境内の北側。
駐車=バイク〇、自動車〇。できるだけ交通機関の利用が望ましいと思われる。
駅から近い。容易に到着できる。
参拝は境内社を含めて約30分程度。
授与所で常時受け付けている。
神田神社旧社地、平将門の首塚(将門塚)
訪問日:2017年3月29日
所在地:東京都千代田区大手町 [地図]
大手町のビジネス街、高層ビルの谷間の一角。訪れた時は周囲の再開発中、そんな中でこの空間に手を付けることなく工事が行われていて、この場所の特異さが感じられた。
参拝は2017年3月29日の朝。築土神社の次に皇居に詣でたのだが、9:00にならないと皇居正門の前まで行けなかったので再訪を期して、その後将門塚に7:30頃到着。
平将門の首は京都に運ばれて晒されたが、三日後に白光を放ち、東国にある胴と再びつながるため飛んできたのだがこの地にて力尽き落ちたという。
大手町のビジネス街、高層ビルの谷間の一角。訪れた時は周囲の再開発中、そんな中でこの空間に手を付けることなく工事が行われていて、この場所の特異さが感じられた。
参拝は2017年3月29日の朝。築土神社の次に皇居に詣でたのだが、9:00にならないと皇居正門の前まで行けなかったので再訪を期して、その後将門塚に7:30頃到着。
平将門の首は京都に運ばれて晒されたが、三日後に白光を放ち、東国にある胴と再びつながるため飛んできたのだがこの地にて力尽き落ちたという。
将門塚全景
「将門塚保存会」と「神田明神」の幟が上がっている。
将門塚入口の碑
「都旧跡 将門塚」とある。
首塚までの参道
将門首塚の碑
「蓮阿弥陀仏」というのは将門供養のため、時宗の真教上人に追贈された法号。
首塚
徳治2年(1307)真教上人が将門の霊を供養したのが最初。以降焼損のたびに復刻して現在に至っている。
将門首塚の碑の説明板
故跡保存碑
首塚の周りの蛙
将門の首が京から飛んで帰ったことから、
首塚の周りの蛙
「帰る(カエル)」にかけて、意に沿わない転勤が決まったサラリーマンが奉納するのだという。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間
地下鉄各線の大手町駅が最寄り、徒歩すぐ。JR東京駅からでも徒歩圏内。参拝者駐車場=なし 駐車=バイク×、自動車×。交通機関の利用が望ましい。
[作成日]2018年3月5日
[更新日]2018年3月5日
[更新日]2018年3月5日
[参考]
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