八百万のかみのやしろ巡り(仮)
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物部天神社・国渭地祇神社・天満天神社
(三社合殿総称 北野天神社)

もののべてんじんしゃ・くにいちぎじんじゃ・てんまてんじんしゃ・きたのてんじんしゃ

参拝日:2017年4月10日

物部天神社・国渭地祇神社・天満天神社<br>(三社合殿総称 北野天神社) 物部天神社御朱印
所在地: 埼玉県所沢市小手指元町3-28-44 [地図]
御祭神: 櫛玉饒速日命(物部天神社)
八千矛命(国渭地祇神社)
菅原道真(天満天神社)
(配祠)天穂日命・加屋野姫命・日本武尊・応神天皇・菅原中将殿・宗良親王
公式頁:
社格等:
延喜式内社 武蔵國入間郡 物部天神社
延喜式内社 武蔵國入間郡 国渭地祇神社
延喜式内社 武蔵國入間郡 出雲伊波比神社
明治5年郷社
明治34年県社

 
 2017年4月10日午後の参拝。廣瀬神社阿豆佐味天神社出雲祝神社中氷川神社(三ヶ島)からの巡拝。
 JR箱根ヶ崎駅からはレンタサイクルで巡っている。三ヶ島の中氷川神社から県道179号線を東へ進む。北野天神前交差点を少し東へ入ったところに正面参道入口。三ヶ島の中氷川神社から東へ直線約3kmの地点。12:20頃到着。

 埼玉県所沢市小手指元町に鎮座。平成17年に町名再編が実施される以前は所沢市北野703であった。狭山丘陵の西に広がる小手指原と呼ばれる地域は鎌倉時代末期から南北朝時代に何度も合戦があった地。西武池袋線小手指駅から南西へ直線1.5km。

 当社は正式には物部天神社で、国渭地祇神社、天満天神社を合わせ祀り、三社を合わせて北野天神社と通称されている。
 延喜式神名帳に記載のある入間郡五座の内、物部天神社の比定社、国渭地祇神社の論社。また式内出雲伊波比神社が合祀されているという説もある。

 社伝によると景行天皇40年、日本武尊が東夷征伐の際、櫛玉饒速日命、八千矛命の二神を祀り、物部天神社、国渭地祇神社と称したという。
 その後の長徳元年(995)、菅原道真の五世孫、菅原修成が武蔵国司として勅命を奉じ、京都の北野社より菅原道真の神霊を勧請した。この勧請以降に地名が北野と改められ、以後北野天神社と通称されるようになった。坂東第一北野天神ともいい、京都の北野社を勧請した一番目ということらしい。
 以後崇敬する武将は多く、文治5年(1189)源頼朝は社殿の増改築と共に鶴岡八幡宮の神霊を勧請した。また天正18年(1590)、菅原道真の裔と称した前田利家による社殿の再興がある。明治5年に郷社、明治34年県社に列せられた。

 物部天神社の祭神は、櫛玉饒速日命であるとするのが当社の見解を含めた定説となっている。その他の説として、
 『神社覈録』『武蔵国式内四十四座神社命附』は櫛玉饒速日命の御子神の宇麻志摩知命、
 『大日本史』『特選神名蝶』は天穂日命としている。
 中央の物部氏の祖神が饒速日命、武蔵国造の物部直一族は出雲系の天穂日命が祖神であるから、主にこの両説があるのだが、元は物部直一族が奉斎し、直接の祖神を祀った社であったと思う。そのうち中央の物部氏とのかかわりの中で血縁も出来、饒速日命ないし宇麻志摩知命を祀るようになっていったのかなとも思う。

 当社にはもう一社式内社、国渭地祇神社が鎮座地を創建当時より同じくして合祀されているというのが従来から説で、景行天皇40年、日本武尊が東夷征伐の際、櫛玉饒速日命、八千矛命の二神を祀り、物部天神社、国渭地祇神社と称したことにはじまるという。『神社覈録』『神祇志料』『大日本史』『大日本地名辞書』などがこの説を採っている。
 『新編武蔵風土記稿』には異なる説があり、「式社の三座を合祀すと云こと最疑ふべし。恐らくは後世近郷にありし式社の廃絶せしを、神職のはからひにて合せてここに祀りしならん」とし、物部天神社と国渭地祇神社は本来は別の社であったが、国渭地祇神社が衰微したものをいつの頃か合祀したとする。
 当社の口碑にかつて東南500mの地点に国渭地祇神社があったが、衰微したので北野天神社に合祀したとあり、鳥居の前方、南側には「ミタラセ」という泉があったとも伝わる。国渭(国井?)と湧泉はなんらかの関連があるとも考えられている。
 また「式社の三座」のもう一社は出雲伊波比神社で、こちらも当社合祀説が有力であった。『神社覈録』『神祇志料』『大日本史』『日本地理志料』『武蔵野話』などが唱えている。

 県道179号線北野天神前交差点の東すぐに正面の参道。階段の先に鳥居が建ち、境内までじっくり参道を味わえる。参道は一度蛇行するが、すべて南面して建つ。かつては北面して社殿は建っていた。正面参道も旧鎌倉街道から伸びていたといい、その場所には昭和40年代まで鳥居が建っていたらしいが、Googleストリートビューで確認したところ無かった。社域の北側はいま中学校になっているが、参道と思しき名残は残っている。そちらも見ておくんだった、残念。
境内の正面入口
境内域の南側、県道179号線沿い。社号標には「懸社 北野天神社」とある。
 
参道
階段を上ったところ。
参道の鳥居
扁額には「北野宮」とある。
 
参道の二つ目の鳥居
こちらの扁額は「北野天満宮」とある。この先で参道は一旦右へ蛇行してから北へ伸びる。
境内の参道

 
拝殿
拝殿の神紋は梅紋。
本殿

 
本殿

社殿全景

 
 
境内社は南向きの社殿の周囲にまんべんなく鎮座している。西側の境内社から時計回りに掲載する。
石宮神社・水天宮
西参道沿いに鎮座。石宮神社は大己貴命他二柱。水天宮は久留米に倣えば天御中主神などか?
 
小手指神社
氏子区域の英霊を祀る。脇に航空神社跡の碑あり。合祀されている?
 
稲荷社
本殿の左側にある。
八雲社
本殿の左側にある。祭神:素戔嗚尊。
 
文子天神社
祭神:多治比文子、菅原道真の乳母であったという。脇に建空神社と書かれた石碑だけ。合祀されている?
 
諸神宮
延喜式内社3132座を勧請した。源頼朝による創建という。
力石
 
西参道入口
こちら側に駐車場がある。
 
 
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
西武池袋線小手指駅から西参道入口まで徒歩約25分。山口の中氷川神社も巡るなら西武狭山線下山口駅からをお勧めする。徒歩約35分。
参拝者駐車場=あり 駐車=バイク〇自動車〇。
駅から少し遠いが、小手指駅から早稲田大学行きのバスもあるので容易。
参拝時間は境内社を含めて約30分ほど。
社務所に常駐していると思われ、常時御朱印を受け付けていると思われる。
[作成日]2018年2月15日
[更新日]2018年2月15日
[参考]  ・式内社調査報告 ・武蔵の古社
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