八百万のかみのやしろ巡り(仮)
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氷川神社

ひかわじんじゃ

参拝日:2017年4月17日

武蔵国一宮氷川神社氷川神社御朱印
所在地: 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町4-1 [地図]
御祭神: 須佐之男命
稲田姫命
大己貴命
公式頁: http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/
社格等: 貞観元年(859)1月27日
貞観5年(863)6月8日
貞観7年(865)12月21日
貞観11年(869)11月19日
元慶2年(878)12月2日
氷川神 従五位上 三代実録
氷川神 正五位下 三代実録
氷川神 従四位下 三代実録
氷川神 正四位下 三代実録
氷川神 正四位上 三代実録
延喜式内社 武蔵國足立郡 氷川神社 名神大 月次新嘗
武蔵国一宮あるいは三宮
明治元年勅祭社
明治4年官幣大社
別表神社
 
 2017年4月17日午前の参拝。楽しみにしていた武蔵国一宮、氷川神社。前日に東京での仕事が終わり、この日は関西に帰る移動日。時間は決めていなかったが、午後から天候がくずれる予報を頭に入れながら足立郡の式内社プラスアルファといった感じでの行動。
 さいたま市浦和区の調神社の次に参拝。朝にびっくりした15か16両編成の電車に乗って浦和駅から大宮駅へ。大宮駅の巨大ターミナルぶりにまた驚いた。「大きいなぁ」と思わず口にする。
 大宮駅から当社の他、足立神社や氷川女體神社、中山神社を予定しているのでさいたま市コミュニティサイクルを利用する。サイクルポートに行くと、どうやらSuicaが必須のようで、再び大宮駅に戻ってSuicaを購入したりと少し右往左往したが、大切な巡拝の足を確保してまず当社に向かった。

 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町に鎮座。大宮駅から地図で見た氷川神社入口という交差点に向かい、ここから参拝開始。ここの鳥居は二の鳥居でここから南へ行くと旧中山道に合流するが、その地点に一の鳥居が建つ。二の鳥居からの参道は両側が車道、中央の道が徒歩の参道。二の鳥居から約500m、一の鳥居からは約2kmの地に三の鳥居(境内入口の鳥居)が建つ。一の鳥居から三の鳥居まで一直線、道中は緑地公園もあり、なんとも爽快な参道。境内入口の三の鳥居はJR大宮駅から北東へ直線約1.1kmの地。

 社名の「氷川」は、出雲国の「肥河(斐伊川)」と通ずるといい、氷川の社号も「肥河」流域の杵築神社を遷し祀ったことに由来するとの説がある。出雲の斐伊川は常に氾濫したため、恐れながらも神聖視されてきた川であるという。氷川神社の鎮座する荒川流域も、その名のごとく氾濫を繰り返す流路の定まらない川であったため、それを神聖視し、荒川を肥河に見立て、「氷川」と呼ぶようになったと推察されている。出雲国造と武蔵国造が祖を同じくすることは、その説を補完するひとつの材料になりえると思われる。

 神護景雲2年(766)、官符をもって氷川神に神封三戸が与えられ(『新抄格勅符抄』)、国史の初見は三代実録貞観元年(859)1月27日従五位上の神階奉授の記事があり、延喜式神名帳では名神大社で月次新嘗の官幣に預かる、武蔵国屈指の古社。

 『氷川大宮縁起』には、第5代孝昭天皇の御宇3年4月、須佐之男命、稲田姫命、大己貴命を祀り創建したと記される。また景行天皇の時代には日本武尊が当社に参拝し、東夷鎮定の祈願をしたというので、同書は日本武尊の御霊も祀っているともいう。
 成務天皇の御宇に出雲族の兄多毛比命が武蔵国造となって当社を奉斎してからは神威が上がり、聖武天皇の時代には武蔵国一宮に定められたという。

 武蔵国造は、その初代について『国造本紀』に「牟邪志」国造に任じられた人として兄多毛比命との記載があるが、その次の條に兄多毛比命の子、伊狹知直を「胸刺」国造に定めたとの記載があるため、諸説確定できない状態であるようだ。
 武蔵国一宮については、最も古い明確な文書は天正6年(1578)の『北条家禁制写』とされる。諸国における「一宮」の初見文献とされる鳥取県倭文神社の経筒銘は12世紀初頭のものであることから、聖武天皇御宇の一宮制定は無理がある。氷川神社が武蔵一宮として確立したのは文献から中世以降のようである。

 上記の社格等に記した「あるいは三宮」については、武蔵国総社「六所宮」の三宮として勧請されているから。14世紀の成立とされる『神道集』(武蔵六所明神事)という書物に三宮である旨の記述が残っている。

 氷川神社は関東地方、とりわけ埼玉県を中心に各地へ多く勧請されている。武蔵国造による国土開発に伴って氷川の神を奉斎する勢力が拡大していった結果と思われる。その中で入間郡の式内社、中氷川神社と奥多摩町の奥氷川神社はほぼ同一の緯度線上に一定の間隔で鎮座していることが知られ、本社、中社、奥社の三社形態を採っていたと推察される。またさいたま市見沼区中川の中山神社とさいたま市緑区宮本の氷川女體神社は当社から南東方向の直線上に定間隔で鎮座し、三社をもって一社であったともいう。

 現在の祭神は、須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
 江戸時代までは男體社、女體社、簸王子社の三神殿に祀られ、それぞれ別の神主家が奉斎していた。
 『新編武蔵風土記稿』には
 男體社に須佐之男命、相殿に日本武尊・大己貴命
 女體社に稲田姫命、相殿に天照太神宮・伊弉冉命、三穂津媛命、橘媛命
 簸王子社に大己貴命(一説に軻遇突智命)を祀ると記されている。
 これら三神の順位や主祭神については近世に争論があったというが、『式内社調査報告』では例大祭は祇園御霊会の性格が色濃いこと、縁起もそれに準じていることなどから、須佐之男命が主祭神とするのが妥当としている。
 江戸期の社殿の場所は、神池の奥、左に男體社、右に女體社があった。いまの社殿の域であろう。また簸王子社は三の鳥居を入った正面にあったという。いまの三の鳥居の位置が変わっていなければ、三の鳥居の先の参道は左に弧を描くように曲がっているから、神橋から見て南東の位置あたりだろう。

 境内社は大きく区分けするならば、
 社殿の東側に門客人神社と御嶽神社、
 三の鳥居と楼門の間の境内域に天津神社、六社、松尾神社、稲荷神社、宗像神社
 二の鳥居附近の参道に天満神社がある。
 門客人神社と天津神社と宗像神社を摂社とし、それら以外は末社としている。

 『新編武蔵風土記稿』に江戸期の境内社、仏堂の一覧の記載があり、かつては第六天社や本地堂(本地仏の聖観音)、不動堂があった。また天津神社、御嶽神社、松尾神社、天満神社は記載がないので、明治期以降に祀られたものと考えられる。
一の鳥居

旧中山道からV字に分岐する参道。
旧中山道の社号標
「武蔵国一宮 氷川大明神」とある。左の道が旧中山道。
 
一の鳥居からの参道
北向きの一方通行で車も通ることができる。
参道
大宮駅東口をまっすぐ進むと氷川緑地の参道。このあたりから車両は脇の道を通る参道になっている。
 
二の鳥居と社号標
こちらの社号標には「官幣大社 氷川神社」とある。
二の鳥居と参道

一の鳥居からここまで約1.5km。さらに直線の参道に感動。
二の鳥居からの参道
 
三の鳥居
ここから境内が扇形に広がっていく。参道は左方向へ曲線を描く。正面の樹々のあたりがかつて簸王子社があったところと思う。
御手洗池にかかる神橋
神橋の向こうに楼門が見える。神地はいにしえの見沼の名残といわれる。
 
楼門

舞殿
楼門をくぐるとすぐにある。
 
舞殿と拝殿

拝殿

社殿
 
舞殿と楼門
拝殿から振り返る。
本殿
銅板葺の流造。
 
本殿
 境内社を社殿の周囲にあるものから、順に掲載してみる。
門客人神社
祭神は足摩乳命・手摩乳命。
 
御嶽神社
祭神は大己貴命・少彦名命。
天津神社
祭神少彦名命。
 
六社
石上神社(布都御魂命)
雷神社(大雷命)
愛宕神社(迦具土命)
山祇神社(大山祇命)
神明神社(天照大御神)
住吉神社(底筒男命・中筒男命・上筒男命)
 
松尾神社
祭神大山咋命。
稲荷神社
祭神倉稲魂命。
 
稲荷神社脇の猿田彦大神
 
宗像神社
祭神市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命。
天満神社
祭神菅原道真。
二の鳥居の手前の参道東側にある。
 
力石
社殿の東側にある。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
最寄駅は東武野田線北大宮駅だが、JR大宮駅かさいたま新都心駅から氷川参道を歩いての参拝をお勧めする。
一の鳥居からの参拝だとさいたま新都心駅が近く徒歩約5分。大宮駅からは徒歩約18分。
二の鳥居からの参拝だと大宮駅から徒歩約10分。
さいたま市コミュニティサイクルがあり、サイクルポートもたくさんあるのでお勧め。ただしSuicaやPasmoが必要。持っていなければ駅の券売機でも購入できる。
参拝者駐車場=あり、西駐車場が広い 駐車=バイク〇自動車〇。
徒歩、バイク、自動車に関わらず容易に到着できる。
参拝時間は一の鳥居や境内社を含めて約1時間ほど(さいたま市コミュニティサイクル利用)。
御朱印は常時受付している。
[作成日]2018年7月5日
[更新日]2018年7月5日
[参考]  ・氷川神社略記 ・式内社調査報告 ・武蔵の古社
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