所在地: | 埼玉県さいたま市見沼区中川143 [地図] | |
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御祭神: | 大己貴命 | |
公式頁: | ||
社格等: | 村社 | |
中山神社
なかやまじんじゃ
参拝日:2017年4月17日
あまり詳しい地図を持参しないで巡拝していたので、氷川女體神社で中山神社の行き方をお伺いをすると、中山神社に電話をしてくださり、直接聞くことができた。感謝。
総合教育センター入口交差点まで戻り、第二産業道路と名が付いた県道1号線を北上、荒川支流芝川を越えて見沼区域に入ると、道路沿いに中山神社への案内板があるのでわかりやすい。参道は第二産業道路ができた際に分断されたようで、境内と道路を挟んだ西側の住宅地の中に鳥居がある。氷川女體神社の約30分後の11時すぎに到着。
埼玉県さいたま市見沼区中川に鎮座。JRさいたま新都心駅から東へ約3km、首都高速さいたま見沼出入口から北へ約550m。
創建は崇神天皇御宇の2年と伝わる古社。当社とさいたま市大宮区高鼻の氷川神社、さいたま市浦和区宮本の氷川女體神社は東南方向の直線上に定間隔で鎮座し、三社をもって一社であったともいう。その中間に位置するのでかつては「中氷川神社」と呼ばれており、現在も通称中氷川神社で通っているらしい。
天正19年(1591)には徳川家康より社領15石の御朱印を受けている。
明治40年(1907)に周辺にあった山の山村神社などを合祀し、中氷川神社から現社名に改称した。
祭神は大己貴命、江戸時代の氷川神社において祭神が三社で祀られていたうちの一社、簸王子社と同神。
固有の祭祀として、12月8日に行われていた「鎮火祭」があり、焚き終わった炭火の中を裸足で渡り、無病息災と火難除けを祈願するものであった。この祭りによって中氷川の"氷"が溶けて、中川という地名になったとのいわれがある。
境内社は境内入口の鳥居の両側に南に荒脛神社と北に稲荷神社、その北側にまた稲荷神社、境内参道南側に八社合殿社と特殊祭祀「鎮火祭」にかかわる御火塚の碑がある。また本殿裏側に旧本殿が覆屋の中にある。
一の鳥居
第二産業道路から西側の住宅地の中にある。参道
第二産業道路から東側の参道。二の鳥居
この鳥居が境内入口になっている。一の鳥居からここまで、約260mの参道。二の鳥居の社号扁額
「氷川神社」とある。境内の参道
ほどよい広さの境内は清廉で、木々が茂っており好印象を受ける。拝殿
向拝部もシンプルな入母屋造。拝殿の扁額
こちらには「中山神社」。本殿
向拝部が若干長めの流造。御火塚の碑
鎮火祭は一時期途絶えていたが、現在は再開しているらしい。旧本殿
桃山期の建造と考えられ、見世棚(みせだな)造と呼ばれる。流造への過渡期の建築様式とのこと。荒脛神社
境内に祭神に関わる記述がないため不明だが、一宮氷川神社の門客人社はかつて荒脛巾神社といっており、それに従えば祭神は「足摩乳命・手摩乳命」が祀られているか、あるいはそのかつての祭神「豊盤窻命、櫛盤窻命」か。場所的には門神のようであるが・・・。稲荷神社
祭神倉稲魂命と思われる。
稲荷神社
祭神倉稲魂命と思われる。先の稲荷神社の奥(北側)にある。八社合殿社
左から神明社・飯成社・淡嶋社・疱瘡守護社・磐神社・石上社・竈神社・稲田宮主社。荒脛神社の後方(東側)にある。稲田宮主神は足摩乳命のことであるから、荒脛神社の祭神はやはり「豊盤窻命、櫛盤窻命」のほうか。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間
最寄駅はJRさいたま新都心駅だが、約3kmと少し距離がある。さいたま市コミュニティサイクルがあり、サイクルポートもたくさんあるのでお勧め。ただしSuicaやPasmoが必要。持っていなければ駅の券売機でも購入できる。参拝者駐車場=あり、駐車=バイク〇自動車〇。
バイク、自動車は容易に到着できる。
参拝時間は一の鳥居や境内社を含めて約10分ほど(さいたま市コミュニティサイクル利用)。
[作成日]2018年8月2日
[更新日]2018年8月2日
[更新日]2018年8月2日
[参考]
・境内由緒書 ・式内社調査報告