八百万のかみのやしろ巡り(仮)
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椋神社

むくじんじゃ

参拝日:2017年3月12日

椋神社(下吉田)椋神社御朱印
所在地: 埼玉県秩父市下吉田7377 [地図]
御祭神: 猿田彦神・武甕槌命・経津主神・天児屋根命・姫大神
公式頁:
社格等: 貞観13年(871)11月10日
椋神 従五位上 三代実録
延喜式内社 武蔵國秩父郡 椋神社
明治6年郷社
明治15年県社

 
 2017年3月12日午後の参拝。
 野巻の椋神社から荒川支流赤平川左岸上の県道37号線を更に西へ進む。県道270号線との三叉路から道がよくなり、少し進むと道の駅がある。その先小さな川にかかる橋を越えると大きな鳥居が見えてくる。12:50頃に到着。

 埼玉県秩父市下吉田に鎮座、秩父鉄道皆野駅から南西へ直線約6km。南300mに荒川支流吉田川が流れる。
 毎年10月第二日曜日に行われる「龍勢まつり」で著名。櫓から発煙ロケットを轟音とともに上空高く打ち上げる勇壮な祭り。

 三代実録、貞観13年(871)正五位上の神階奉授の記事がある国史見在社、延喜式内小社秩父郡二座のうちの一社の論社。江戸時代以降は当社を比定する説が有力で、伴信友『神名帳考証』『大日本地名辞書』など多くが当社説を唱えている。

 創祠について社伝には、日本武尊の東征の際、秩父地方を通過しようとすると、深山幽谷で道に迷ってしまう。そのときに光が現れ、その光に導かれて当所にたどりついたという。この光は猿田彦命の守護奉導であった。そこで日本武尊は光の止まったところに猿田彦命を鎮祭し、後、その地に造営したのが椋神社の起こりであるという。

 また下って、藤原秀郷は平将門討伐に際し当社に戦勝祈願した。その後将門の乱を平定し、祈願成就を感謝し春日四神を合祭した。あわせて五座の神を祀るようになり、井椋五社明神と称されるようになったという。当社にも社名の読みを「むく」「くら」とする二説があるようだ。

 県道37号線で下吉田地区に入ると、境内北側の新しい大鳥居にたどり着く。道の駅龍勢会館から南への旧道?へ進むと境内正面にたどり着く。下吉田の集落から見ると境内地は高台にあり、かつては集落を見下ろす地として鎮座していたようだ。鳥居と境内への階段、拝殿まではおおよそ直線ですべて東面している。境内社、石祠も数多く鎮座している。
県道沿いの大鳥居
県道37号線から見える。つい最近の建立のよう。境内の北側に建つ。
地元の方々以外はほぼこちらからの参拝になる。
 
表参道の境内正面登り口の鳥居
下吉田の集落から登ってくる道。
境内入口の鳥居
もう一段上へ登る階段参道。
 
境内入口の鳥居と境内

拝殿
入母屋造、千鳥破風と唐向拝付き。
 
拝殿の向拝と社号扁額

本殿
流造。
 
 
社殿の北側に大きな構えの八幡宮の他、境内のいろんな場所に境内社、石祠がある。また境内正面登り口の鳥居の左側に石祠三基、右側の道沿いに稲荷社がある。
境内社の八幡宮
 
境内社
北大鳥居から境内に入った右側に鎮座。
 
境内社
左から神明神社・琴平神社・諏訪神社
境内社
拝殿の南側に鎮座。
 
境内社
左から稲荷神社・菅原神社・白鳥神社。
 
石祠
稲荷神社・菅原神社・白鳥神社の左側。
境内社
場所をよく覚えていない。 本殿後方だったか?
 
石祠、藤原秀郷霊神
北大鳥居から境内に入った左側。
 
舞殿
三つの石祠
正面鳥居の左側。
左から山の神・おいぬ様・火防の神。
 
稲荷社
正面鳥居から右の道沿い。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間
 秩父鉄道皆野駅から徒歩約1時間40分程、自転車30分程。西武秩父駅発のバスも一日何本か出ている。
 参拝者駐車場=あり。駐車=バイク〇自動車〇。
 徒歩旅だと駅から少し遠い。バイク、自動車は容易に到着できる。
 参拝時間は境内社を含めて約10分ほど。
[作成日]2018年1月23日
[更新日]2018年1月23日
[参考]  ・式内社調査報告 ・武蔵の古社
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