所在地: | 埼玉県秩父市番場町1-1 [地図] | |
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御祭神: | 八意思兼命・知知夫彦命・天之御中主神・秩父宮雍仁親王 | |
公式頁: | http://www.chichibu-jinja.or.jp/ | |
社格等: |
貞観4年(862)7月21日 貞観13年(871)11月10日 元慶2年(878)12月8日 |
秩父神 正五位上勲七等 三代実録 秩父神 従四位下勲七等 三代実録 秩父神 正四位下勲七等 三代実録 |
延喜式内社 武蔵國秩父郡 秩父神社 武蔵国四宮 明治6年県社 昭和3年国幣小社 別表神社 |
秩父神社
ちちぶじんじゃ
参拝日:2017年3月12日
秩父へはただ「西武」に乗れば大丈夫だろうということで新宿へ向かった。地下鉄の新宿から西武新宿までそこそこ歩くとは思っていなかった(誤算1)。また西武新宿線は川越へ向かう路線なので、所沢で待ち時間が発生してしまった(誤算2)。そして秩父へは特急を使わずともすんなり行けると思っていたが、西武新宿線に乗ったため所沢で1時間待ち時間が発生してしまい、さらに飯能でも乗り換えがあるため、結局次の特急レッドアローに乗ることにした(誤算3)。しっかり下調べして西武池袋から特急レッドアローに乗っていればよかった。。
しかし西武の初乗車の記念日、所沢駅で少し右往左往したのも良い思い出、多少の時間のロスはあまり気にならなかった。西武秩父駅に9:00頃到着。
西武秩父駅構内のそば屋さんで腹ごしらえしていると、「みそポテト」なるものを持ち帰りする客がいて、どうやら秩父の名物らしいので食べてみた。うまかった。
2017年3月12日午前の参拝。西武秩父駅の北の秩父神社参道へ向かい、まっすぐ行くと秩父神社正面の鳥居が建つ。社殿、鳥居とこの参道の南の延長線上に武甲山があり、元は武甲山を遥拝する聖地であったとする説がある。10:15頃到着、人がすでにたくさん居る。昨日に続き今日も雨の心配のない好天日だ。
埼玉県秩父市番場町に鎮座、秩父市の中心地であり、秩父鉄道秩父駅から徒歩すぐの場所。
現在の祭神は八意思兼命・知知夫彦命・天之御中主神・秩父宮雍仁親王。
主祭神は八意思兼命、知知夫彦命といってよいと思われる。八意思兼命は、天岩屋戸に隠れた天照大神を外に連れ出す方法を考えたり、葦原中国平定では武甕槌命を推薦して天孫降臨を実現させるなど、困難を打開する局面に登場する神。知知夫彦命は知知夫国初代の国造、秩父地方開拓の神。
社伝によれば崇神天皇の御宇、知知夫国初代の国造に任じられた知知夫彦命が、祖神である八意思兼命を祀ったことが創祠という。また『先代旧事本紀』の『国造本紀』に允恭天皇の御宇に知知夫彦九世孫知知夫狹手男により知知夫彦命を合わせ祀ったとある。
創祠の神について、『先代旧事本紀』の『国造本紀』に「八意思兼命十世孫知知夫彦命を国造に定め賜う。大神を拝祠す」とあり、この"大神"について異なる見解がいくつかある。
1.知知夫彦命の祖神、八意思兼命
2.大己貴命(『神社覈録』『大日本地名辞書』)
3.八意思兼命の子、天下春命(『天神本紀』)
4.秩父の国魂神(『神社辞典』)
三代実録の初見は貞観4年(862)の記事で、正五位上の神階を奉授している。勲功も有しており(勲七等)、和銅改元のきっかけとなった秩父の自然銅産出が背景にあったとする説がある。延喜式内小社、秩父郡二座のうちの一つ。武蔵国総社六所宮(大國魂神社)には四宮として勧請された。
鎌倉時代には秩父平氏が奉じる妙見菩薩信仰の影響が色濃くなる。一説には秩父平氏の祖、平良文の孫にあたる平将恒がいまの秩父市宮地のあたりに妙見社を勧請し、嘉禎元年(1235)落雷焼失によって現社地に合祀されたという。中世、近世の間は秩父妙見、大宮妙見などと称され、こちらが主神の位置にあった。
明治維新後の神仏分離により社号を秩父神社に復し、妙見菩薩と習合した天之御中主神が配祠された。
参道にあたる道は秩父鉄道御花畑駅の西あたりから。途中に神社関連の施設はないが、古い建物もあって旅情を掻き立てられる道。そのつきあたりが正面鳥居。鳥居脇に「国幣小社秩父神社」と刻まれた社号標が建つ。鳥居から拝殿まで直線の参道。
境内正面の鳥居
一の鳥居前は国道で交通量があり、さらに参拝客で賑わう。
神門
境内参道
この日は境内社の柞稲荷神社の例祭で崇敬者の方々が法被を着て祭りを執り行っていた。古社の風格と威厳を感じる社域。拝殿
今日最初の参拝をここで出来て感謝。
拝殿と本殿
社殿全体を彩る彫刻がとても素晴らしい。
拝殿の社号扁額
本殿
本殿
入母屋造の拝殿と流造の本殿を石の間と呼ばれる一高低い建物で一体化している「権現造」。
社殿を彩る素晴らしい彫刻が全方面に施されており、以下頂戴した秩父神社パンフレットにある4つの彫刻を拝殿正面(南)から時計回りに。南面から虎・猿・梟・龍の順なので、特に方位守護というわけではなさそうだ。
子宝・子育ての虎
未だ群雄割拠の戦国時代、当社は甲斐の武田信玄公の手により、永禄12年(1569)に焼失の後、徳川家康公のお力により現在のご社殿が再建されました。家康公は、寅の年寅の日寅の刻生まれということで、虎にまつわる物語が少なくありません。それにちなんでか、当社の拝殿前は四面にわたってすべて虎の彫り物が施されています。
特に拝殿正面左より二つめの、子虎とたわむれる親虎の彫刻は、名工左甚五郎が家康公の威厳とご祭神を守護する神使として彫刻したものと伝えられています。当時の狩野派では、虎の群れの中に必ず一匹の豹を描くことが定法とされていたことから、母虎があえて豹として描かれているのが特徴的です。(境内の説明板より)
お元気三猿
三猿といえば日光東照宮が有名ですが、同じ徳川家縁りの御社であるにも拘らず、当社の三猿は日光とまったく違った表情をしています。日光が古来の庚申信仰にちなんで「見ざる・言わざる・聞かざる」なのに対し、当社の三猿は「よく見・よく聞いて・よく話そう」 ということで、現代の情報化社会にふさわしく俗に"お元気三猿"として皆様に親しまれています。
当社のご祭神である妙見様は、神仏の中心にあって、人間の元気な命を司る神様として永く信仰されてきたことから、特に不老長寿のご利益があると言われています。(境内の説明板より)
北辰の梟
ご本殿北側中央に彫刻された梟は、「北辰の梟」といって、菱川師宣描く有名な浮世絵の「見返り美人」よろしく、体は正面のご本殿に向き、頭は正反対の真北を向いて昼夜を問わずご祭神をお守りしています。当社のご祭神である妙見様は、北極星を中心とした北辰北斗の星の信仰で、この梟の見ている方角に妙見様が出現することからも、ご祭神を特に縁りの深い瑞鳥であると言えるでしょう。
洋の東西を問わず、梟は智恵のシンボルと考えられており、当社のご祭神八意思兼命が智恵の神として崇敬の篤いことと重ねて、 思慮深い神使として社殿北面に施されたものと思われます。(境内の説明板より)
つなぎの龍
その昔、秩父札所十五番少林寺近くに「天ヶ池」という池がありました。その池に住みついた龍が暴れた際には、必ずこの彫刻の下に水溜りができていたことから、この彫り物の龍が鎖でつなぎ止めたところ、その後、龍は現れなくなったという不思議な伝説が伝わっています。ご本殿東側の鎖でつながれた青い龍の彫刻こそ、この伝説に語られた「つなぎの龍」の姿なのです。
昔から日本人は、家や地域の四方を青龍、朱雀、白虎、玄武という神使が守っていると信じてきました。この彫刻も、当社の東北(表鬼門)を守護する青龍の姿を、名工左甚五郎が社殿彫刻に施したものなのです。(境内の説明板より)
境内社は神門をくぐった境内にまんべんなく鎮座しているので、おおよそ集約できる範囲毎にまとめてみた。
・神門をくぐって左側に神降石と三社が鎮座。
・神門をくぐって左側に神降石と三社が鎮座。
神降石
柞稲荷神社
この日は柞稲荷神社例祭で、社前に奉納品があった。
諏訪神社
日御碕宮
祭神須佐之男神
・本殿後方、10時と2時の位置に二社が鎮座。
豊受大神宮
皇大神宮
・本殿の背後に天神地祇社が鎮座。全国の一ノ宮(75座)を祀っている。その背後に広がる社叢は「柞の森」、秩父神社の聖地。
天神地祇社西側から
天神地祇社中央
天神地祇社東側から
・神門をくぐって右側に三社が鎮座。
東照宮
天満天神社
禍津日社
境内の東側、秩父まつり会館北側に所管社と思われる社があったので行ってみた。
秩父まつり会館
柞祖霊社
門扉が施錠されていて、中には入れなかった。柞祖霊社
宮司家の先祖を祀ったものと思う。週間神社紀行46 秩父三社より
埼玉県秩父市に鎮座する秩父神社は「国造本紀」によれば、崇神天皇の時代に、八意思兼命を祖とする知知夫彦命が知知夫国初代国造に任命され、大神を祀ったことに始まるという。関東屈指の古社にして、この地方の総鎮守である。
878年(元慶2)には正四位下に叙され、『延喜式』で国幣小社に列せられた。中世以降、豪族の秩父平氏が奉じ妙見菩薩信仰と習合して妙見宮とよばれたが、明治の神仏分離で、秩父神社の名に復した。祭神は八意思兼命・知知夫彦命・天之御中主神・秩父宮雍仁親王。
現在の権現造りの社殿 は、1592年(天正20)、徳川家康によって寄進されたもの。
12月3日の例大祭は、「秩父夜祭」として全国に知られている。
878年(元慶2)には正四位下に叙され、『延喜式』で国幣小社に列せられた。中世以降、豪族の秩父平氏が奉じ妙見菩薩信仰と習合して妙見宮とよばれたが、明治の神仏分離で、秩父神社の名に復した。祭神は八意思兼命・知知夫彦命・天之御中主神・秩父宮雍仁親王。
現在の権現造りの社殿 は、1592年(天正20)、徳川家康によって寄進されたもの。
12月3日の例大祭は、「秩父夜祭」として全国に知られている。
交通機関・駐車・駐輪情報・到着難易度・参拝時間・御朱印
秩父鉄道秩父駅が最寄駅で、境内正面まで徒歩約5分、西武秩父駅からでも徒歩約15分ほど。参拝者駐車場=あり 駐車=バイク〇自動車〇。
徒歩、バイク、自動車に関わらず容易に到着できる。
参拝時間は境内社を含めて約30分ほど。
御朱印は社務所で受け付けている。
[作成日]2018年1月19日
[更新日]2018年1月19日
[更新日]2018年1月19日
[参考]
・式内社調査報告 ・神社辞典(東京堂出版) ・古代諸国神社神階制の研究(岩田書院) ・週間神社紀行46 秩父三社